土曜日の朝、うつらうつらと『剣道・弓道・茶道・神道・香道・・etc』何で『道』って付くんだろう・・・と考えてみたが分からなかった。


ふと・・・今まで封印していた映画「日々是好日」では、『茶道』を何と語っているのだろう・・・とAmazon・primeを覗いてみた。


映画の最初の方に『割り稽古』のシーンがあった。主人公達がお茶を初めて習いに行った日のシーン。


樹木希林のセリフも、教え方も、内容も全てが、私が12歳の時の茶道教師・・・母そのものだった。


直ぐにビデオを止めた・・・止めずにはおれない気持ちだった。気を取り直し、再び観ると真面目で理屈っぽい役の主人公が問う・・・


「どうして、こうする(作法)のですか?」


母が言葉に窮し、その後いつもケンカになっていた私の問い。


樹木希林が答える・・・


「何でも頭で考えるから、そういう風に思うんだね・・・」


おっしゃる通りです。私はいつも先ずは頭で考えようとする。理性で納得出来なければ前に進めないから・・・。


日本の伝統的な文化は、そのほとんどが根拠を求めない。カタチが全てである。西洋的な論拠を問う事を極端に嫌う文化だと思う。


母は素直な性格で、感情(感覚)で全てを推察する。だからお茶のお点前は超一流だったと思う。


『神道』もカタチが全てである。わからないものはわからないまま、深く掘り下げず、それ以上を求めないのが礼儀とされる。これが日本の文化であるらしい・・・私はキリスト教文化の中で育ったので、理屈と根拠(本質)が全てである。


私と母、私と夫・・・互いに大好きなのに・・・全く話が噛み合わない🥴

カタチや表面を問われると、私はお手上げだし・・・本質や論理で話すと母や夫は、途端に怒り💢だす。


母は、自分は娘に直接『茶道』を教える事ができない、と直ぐに悟り、私は13歳から母の友人茶道教師に委ねられた。


結局、映画を見ても『茶道』の本質は分からなかったけれど・・・茶道におけるお点前の動きや道具や設えの美しさは、日本の美意識の最高峰ではないだろうか?


とにかく、美しい。何もかもが美しい。


茶道は、この総合的な美意識を求めたのではなかろうか?


私に大きな影響を与えた祖父母や叔父達は、反対に、


「何故そうなのか?」という問いを、常に求めよ‼️


と説いた。西欧的な文化で育ち、曖昧さは許されない世界に生きて来た者(私)にとって『茶道』の観る世界は、どうしても納得(腑に落ちる)が出来ないのである。


今のところ、私にとっての『茶道』とは・・・

日本の美意識を求めるプロセスかも知れない。


見ざる、聞かざる、言わざる・・・


うーむ・・・


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そういうわけで(笑)、今日は『お茶のお稽古・資格者別稽古』


途中ハナでサンドイッチを買い、10時から15時までみっちりお稽古三昧。




『風炉の炭点前』を、お二人の先輩がなさった。、私は『茶通箱(お濃茶2種)のお点前』


今の私の先生は、何もかもが素晴らしい。

お抹茶には、賢くする力があるのかも知れない。