どうして?
何で、こうするの?
何故?
私の全ては、此処に存在基盤がある。
『知は、個人に属するが、
本能は、自然に属する。』
ー茶と美ー 高麗茶碗と大和茶碗より 柳宗悦著
『茶と美』に語られているのは、一貫してこの真理である。意図して作られた作品と必要に応じた作品の優劣を語っている。
妃鞠さんの一生懸命に練習した『無邪気で一途なバイオリン演奏』が、世界中の音楽家を虜にしたのがココにあるのだろう・・・。
日本は、表面を真似る事のとても上手な民族である。表面上で、一瞬にして心を通わす事の上手な民族である。(日航機脱出劇もこの性質が功を奏したのでは無いだろうか)
神道の祭事で為される作法は、その代表的なものであると思う。その本質は曖昧にしておく事が、ヨシとされる文化である。本質は『秘儀』とされ、ごく一部の人のみ立ち入る事が出来、立ち入る人も、おそらくその意味と本質を理解している人は少ないのではなかろうか?門外不出の真理は、日本の、お家芸であり、真理は人に知らすべきものでは無い、のが日本の文化であるのだから。
徹底的に、本音と本質と真理に特化する『キリスト教』が日本でなかなか広がらない(1%未満)のは、此処にあると思う。安土桃山時代に広がったのは、知より情で生きていた農民たちだったから、多くの人々が神を見出したのだと思う。
茶道も、本来は『作法』に一つ一つに意味がある『点前』であるにも関わらず、その意味を問う事はしないし、それをいちいち問う事は『茶の湯』ではご法度であるらしく、茶席を一瞬にして貶めている様に受け止められる。
高麗茶碗が、単なる飯茶碗であった事は、物に、作法に、全て何らかの意味と目的がある事をもう一度、茶人達に問いたい。
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久しぶりの休暇・・・って、年金暮らしの私に相応しい言葉かどうかわかりませんが、取り敢えず予定が何も無い1日。
しかし、家の中でやるべき事は山ほどあります。
さて、のんびり片付け物等をしていたら、お電話。
何と❣️次男ファミリーが来訪との事。いやはや、午後は長襦袢の襟かけをする予定が・・・又もや消えてしまいました。
新居の外壁工事の事前準備で一緒に新居に向かいます。その後Nちゃんの行く小学校へみんなで行ってみました。
高台にあって、見晴らし抜群の小学校です。
夕方、元気よく次男ファミリーは帰って行きました。さて・・・明日は今年初の⛳️🏌🏾♀️ラウンドです。


