ヘタヘタ・キャンディーズの3人で、大宝塚ゴルフ倶楽部⛳️🏌🏾‍♀️

 

相変わらずの130。平均パット数は、そんなに悪くないのだけど、やはりショットの安定性がありません。去年冬は120台だったのに・・・

 

楽しく回って、お風呂に入ってぬくぬくになって帰宅しました。

 

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

 

『彼を忘れるのが、そんなに辛い?』

 

『彼が生きていたら、今も愛し合っていた?』

 

『彼がこの世に居ないから、執着しているのでは?』

 

『僕から見ると、彼への想いは愛じゃない❗️』

 

『それは、執着で未練だ❗️』

 

 

ー冬のソナタ第9話よりー

『現実を見て下さい。彼は死んだ。もう居ない』

 

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

 

このセリフは、既に夫が生きている時に友人達(女性)に何度も迫られた。私の夫に対する想いは、『執着よ‼️』と。

 

しかし、今考えると・・・夫を通して私は、様々な場面で愛された目に見える事柄のあまりもの大きさ・広さ・高さに圧倒されるばかりで・・・私が夫を愛した証はどこにも無い。ただただ、夫の転移した強い怒りと強い愛を受け止めるだけしか出来なかった。それが私が彼に捧げた唯一の愛の表現だったと思う。

 

彼の子供達や孫達を深く愛し、育て、社会に羽ばたかせる事、それが私の彼に対する唯一の愛の応答だったと思う。

 

それは目に見えない、測れない、形に現れない、私の愛の表現・・・エスプリだったのだから。