去年の5月10日、数十年ぶりに長女が幼稚園だった時のママ友宅にお招き頂き楽しいひと時を過ごしました。←と友人が調べておいてくれてました(笑)



第二ラウンドは、本日でした。

その間、さまざまな事があり積もる話もあるに決まってます。前回の様に話が盛り上がりすぎて、遅くまでお引き止めしないように終わりの時間を決めて、楽しみました。


ランチは、手抜きのパンネルのサンドイッチ🤭

気候も良く、お庭でおしゃべりしながら頂きました。

多分、夫のお参りを兼ねて来てくださったとも思いますが、友人って・・・いつまで経っても、ありがたい存在ですね。


心置きなく、さまざまな話題に花が咲き、こんなに気が合う人がいたかしら?と思う程。

ただ彼女は、有名大学のソーシャルワークがご専門の元教授。私へのソーシャルワークだったのかも知れませんね。専門的対人援助のプロでいらっしゃいますから🤭


不思議な『感性の共感』です。

これは、一体何なんでしょう??


もっと、もっと深く会話を進めたいと言う誘惑に駆られますが、それは次回、第3ラウンドのお楽しみです。


一日中おしゃべりしていたので、夕方ウォーキングにも行きました。


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今日の会話の中で『権利擁護って、なぜ必要か?』といった話の内容があって・・・深く考える機会がありました。


最初「権利擁護は、人間の営みの中の底辺に流れている物」・・・と思いましたが、ふとそれは違う‼️と、思いました。


もし人間の根底にこの意識が脈々と流れていたら、人類は戦争や争い、差別や裏切りなど現在各地で繰り広げられている事は、起こるはずがありません。


元々、人間が本来持っていないからこそ、家庭教育や社会教育等、あらゆる教育の機会を通じて私達は学び、身につけて行くのです。


つまり後付けであって、洋服で言えばコートな様なもの。その時の状況で簡単に脱ぎ捨てる事ができる物だと思いました。


小さい時に刷り込まれたこの価値観が、何故社会の中で通用しないのか・・・が、ようやくわかりました。