一昨日の事ビックリマーク






私が加入している生命保険の証書を探すのに、





今年二月の引っ越しで家行方がわからずあれもこれもと





押入れとかあちこち引っかきまわしていた時の事、





書いた事さえ忘れていた、





次男の成長についてのメモメモが見つかった。





とても大切な事を記録メモしているので、





無くしたらいけないと思い、





今日はここに記録を残しておこう・・・パソコンメモ











メモ次男 M



平成5年11月吉日出生


40週 2862g


身長46,8cm


双胎 帝王切開 





退院時 3316g 人工栄養





一ヶ月検診 F小児科


3590g 52,5センチ


F小児科医師 「股関節が硬いので、開排位に抱くように」





3~4ヶ月検診 ○○先生


6~7ヶ月頃


人の呼びかけに鈍感


手を叩いて呼びかけても振り向かない




7ヶ月 おすわりはしていない



生後二ヶ月までに、泣きひきつけ6回


中央病院で脳波の異常なし(9~10ヶ月の頃)


はいはいの始め=(7月頃)


つたいあるき=○


バイバイ・こんにちはの身振り=○


一才6ヵ月でも背中が真っ直ぐにならない(平成7年5月24日記)



平成7年5月28日


海辺に下りるコンクリートの歩道で転倒。後頭部を強打し、小石大の穴が開き、●HPにて、二箇所2針縫合となる。


転倒したとき、激しく泣いた。泣いているのに、元配偶者は長男を連れて、先へずんずん歩いていくので驚いた。


「ちょっと待って!頭を打ったのよ!戻ってきてーーーーーーーーー!」


私は怒鳴っていた。


元配偶者は、非常事態が理解出来ないのか?


その日私がお願いした、「海で遊ぶ」という予定を急遽変更し、日曜日に病院へ急行することとなり、


元配偶者は立腹していた。



この時、車の中で、次男の脳みそがグルグル動いていたのを、頭部を支えていた私は覚えているが、


あれは本当に怖かった。


「死ぬかもしれない・・・」と本当に思った。


私は気が動転し、泣きじゃくっていた。




市内に、開いている大きな病院があり、事情を話すと直ぐに見てもらえた。


泣きじゃくっている私に、


「あまり自分を責めないで」と、医師。


だけどやっぱり、


私が、手を離してしまったばっかりに、まだよちよち歩きだった次男は砂利を踏んでしまい、


・・・私は取り返しのつかない過ちを犯してしまった。




平成7年盆に実家へ


次男にささやき声で呼びかけ=反応なし。


この夏、実家の両親に、次男を病院に連れて行くよう指示される。


平成7年11月22日(水曜日)○○園でレントゲンを撮る。


Drより、「体に異常は無し。」


平成8年5月頃(6ヶ月後)来院の指示。



双子の長男よりも、半年ほど精神が遅滞していること、自閉的であることを告げられる。




三歳でもおむつをしている。



3歳  


○が書けない


衣服の着脱が出来ない


自分の名前が言えない


耳の聞こえが気になる


自閉的である



平成8年一月


末っ子の出産のため、双子を見てくれる人が見つからず、ベビーホームへ24時間10日間契約で預ける事になる。


この間、次男がひどい咳をしている事がわかる


預けた当初、風邪などひいていなかった。


元配偶者が 自分の母親を伴って次男を●小児科で受診させる。


しかし改善せず悪化。


聞くと浣腸をされただけらしい。


驚いた。


私は入院中であったので、他の病院を受診させるようお願いしたが、


「いっぺん連れて行ったじゃないか!どこへ連れて行けというがじゃ!」と激しく怒鳴られ拒否された。


平成8年1月末、


私が産科医を退院の日、元配偶者の運転で、私が次男を別の小児科へ連れて行く。


医師から気管支炎になっていて、もう少し連れてくるのが遅かったら、


命の危険があった事を知らされ大目玉をくらった。


「どうしてこんなになるまで放っておいた!?死ぬところやったぞね!」


元配偶者は、預けていたベビーホームで、絶対何かされたんだと言い、自分の落ち度は反省していなかった。




平成8年2月20日


元配偶者=長男と小競り合っていた次男の左側頭部を右手で平手打ち。強殴打する。


鼓膜が破れたのでは無いかと、私は殆んど発狂状態で元配偶者を激しく責めた。



     2月22日


次男、(生まれて初めて)熱性けいれんで救急搬送される 熱39度4分 国立病院



     3月12日


一日に3回けいれんあり 三回目=20分続くので国立へ救急搬送する


CTで脳検査


4月は脳波



平成8年2月~3月20日までに、次男は二階から(階段最上部)4回転落


二回目は状態がひどかったので○○病院へ連れて行く



平成8年5月16日


元配偶者と次男が二階にいた時の事、ドーンという音とともに


突然次男の火の付いたような、「ギャー」という泣き声が・・・


「じゃかましいー!」と怒鳴る元配偶者の声が・・・


二階へ上がると、後頭部から血を流している次男がいて、


知らん顔で背中を向け、テレビを見ている元配偶者の姿が・・・


「どうしたの!」と問いただすが、


「何がや!」と、逆キレ。


「頭から血が出てるわよ!」


次男はたぶん、古いふすまを留めてある、大きく突出した蝶つがいで裂傷していた・・・


(・・・投げ飛ばしたな。)


しらを切る元配偶者に、私は確信した。



その後は毎日、一ヶ月ほどだったか?4キロほど先にある小児科へ通院した。


生活は貧しく、バス代さえ捻出出来ず、私は赤ん坊の末っ子を背中におんぶして、


次男と長男の手を両手に繫いで、


雨の日も、風の日も、次男の怪我の消毒のため、歩いて通院した。



平成9年1月8日中央児童相談所にて、自閉相談


1月22日 1時(予約)


1月31日 中央保健所10時30分~



平成9年3月20日 


次男が初めて「おかあちゃん」と言いました。びっくり!この頃、歌を歌います。 


次男が 「ゆきやこんこん あられやこんこん ふってはーふってはーまだふりー・・・」 と機嫌よく、


楽しそうに歌います。これにはびっくり!すごいぞ M !えらい!




5才の時、同じく自宅の階段最上部から転落一回



(記憶では、最終的には6回)












平成12年3月23日(木)雨


知能テストの結果、学級へ入れたほうが良いとの結論に。


私はいつも、子供よりパパに神経使っていたので、これからは子供に、愛をいっぱい注ぐ。





















ここにはとても書けない、子供たちに対する日常的な元配偶者(子らの実父)の虐待による、


子らの人格形成への悪影響を懸念し、平成15年9月調停離婚は成立した。



私に対する暴力は、精神的、経済的な暴力で、非常に絶えがたく、裁判所の家事相談へも行きました。

離婚調停の日、一円も出せないと言っていたが、私は譲らなかった。


そして、微々たる金額の養育費の支払いが確定したが、


二回ほど振り込んで支払いを絶たれたと思っていたら、子らに会わせなければ払わないとの言い分で、


私は住所を探し出されて、面接交渉権での調停が始まる。



調停の件では、異常なまでにキレ易く、暴力的な性格の元配偶者の行動を危惧し、


地元の刑事に相談と、助言を頂きながら、調停に臨む。


この頃、私はうつ病で治療中でもあった。




怯える子らに会わすことは出来なかったし、子らも嫌がっていた。


負けるわけにはいかなかった。


何もかも一人で背負って・・・



苦しかった~


ところが、話のわからぬ裁判所の調停員には心底腹が煮えくり返っていた。


あまりにも血の繋がりを強調したがる調停員の頭の古さに呆れて、


何度か弁護士に相談しに行ったたものだ。


平成18年1月末、


調停最終日、調停の終了後、精神状態が非常に不安定だったらしく、


うつ病の内服薬を多量摂取してしまい、意識混濁となり路上に倒れる。


最初の、通行人の一人の声を今でも覚えている。


「大丈夫ですか!」

周りの人たちの通報で、救急搬送され、3日間入院の後、10日ほど、自宅療養が必要となる。



心身ともに、疲れきっていた。




生きているのが、空しく感じていた。

現実って、なんだろうと、悲しくて仕方がなかった。



平成18年2月 退院後、両親と一緒に精神科へ受診


精神科医より、「あなたはうつ病では無い」と言われる。



ODをしてしまい、担当医からは、解離性障害・・・と言われた。



そして地元の裁判所から届いた調停の結果に不服があり、高等裁判所へ抗告文を提出する。


私は負けない。


自分に負けたらいかんのよ。


私が死んだら、私の子供たちは連れ戻され、毎日恐怖の中で暮らすことになるから。

子供たちを守るため、法律の本を何冊も購入し、読み漁った。



抗告文が出来上がり、高等裁判所に思いを託した。



高等裁判所から、封書が来て、結果に八割がた、安堵した。



平成18年6月  


長男=難病(骨の悪性がん) 骨肉腫が見つかり、7月に大手術となる。



息子への告知には、随分と悩んだものだ。



元配偶者には、一切知らせてはいない。



双子は、今15歳。


母親の私の背丈を、末っ子と共に、軽く追い越してしまった。



三人とも明るく、前向きな子供に育ってくれていると思う。



毎朝、どんなにしんどくても、朝食を作らないという事は無い。


母子四人で緊張感の無い、笑いや冗談の飛び交う食卓が幸せだ。




私には、お金も財産も、何の才能も無いけれど、


愛する子供たちが、三人とも、この世に存在してくれている事自体が、幸福だと感じている。




だからくじけず、子供たちを育てなくちゃ。



まだまだ前途は多難だけれども、




私は少し、歳を重ねてしまったけれども、



子供たちには、 未来があるからね。



私はたぶん今、幸福の中に、生きているのだと思っている。