最近本当に靴の企業からの支援依頼が多くなってきました。

民事再生を申請した企業の(全社)再生、新規ブランド立ち上げ、具体的な商材(履き心地にこだわったファストシューズなど)開発、製販統合モデルの構築による靴の「ユニクロ化」支援、業績評価の指標設定と人材評価の仕組み設計 等々

中でも会社まるごと再生させる、というケースが多いです。
そういうケースだとリストラクチャリングの過程で、様々な「人の問題」に直面します。
適宜、お店を閉める→人が余る→人的リストラをする というケースも経験しますし、本当にやらなければならない局面では実施しますが、基本的には安易にそこに着手すべきではないと思います。

綺麗事ではなく、支援した結果そこにいる人たちが幸せにならないとやっている意味がないと個人的には思います。もし企業体だけを残す、生かす、ということを大目的にしてそこで働く人の将来や処遇については一切考慮しない、という形で企業の支援に当たるのであれば、再生させるよりその企業に投じるお金でまったく”しがらみ”のない形で新しく会社を作った方が早いです。

靴やアパレルなど、MDや生産の仕組み化が進んできたとはいえ、まだまだ「人的要素」の占める割合が高い産業においては特にそう思います。
なぜならば、もちろん屋号とか暖簾も大事なんですが、やはり最後はそこにいる個人を頼って(信頼して)付き合ってくれるんですね。

極端な例ですが、ユニクロの「+J(プラスジェイ)」も同じです。
+Jだけどクリエイティブ面で参画しているのが著名なジル・サンダー氏であることは誰もが知っています。
反対にもともと彼女が立ち上げた「Jil Sander」のブランドはすでにオンワード樫山に売却されてしまいましたが、ストレートに言って彼女がいたころの輝きとブランドロイヤルティはありません。
それは良くも悪くも、彼女および彼女のつくる服に対するロイヤルティだったからです。(ではブランドって何なの?という疑問がわいてくると思いますが、それはまた別途)

靴の会社でも「あの人がつくってくれるから」「会社じゃなくて●●さんがいるからお願いしているんだよ」という言葉を毎日のように耳にします。
そういった顔の見える個人がハッピーになって、その結果会社としても成長軌道に乗っていく。
支援先の従業員と毎日顔を合わせているから情にほだされて…とかそういった次元ではなく(それはそれで重要ですが)支援した結果、常にそういう状態になっていれば良いな、と。

「俺はこれだけ成果を残した!」といった自己満足だけだと虚しいだけだと思うのですが、どうでしょうか。。