3月29日。

大好きなおじいちゃんが亡くなってちょうど1年。あの日のお昼頃だったと思う、LINEを見たら弟から連絡があって「おじいちゃんが朝方亡くなった」と。この2日前から状態が危ないとは聞いていた、心のどこかでは多分大丈夫だろうとか、もしその時が来たとしても年齢的に仕方ないよなあみたいな、呑気なことを思っていた。実際にこの連絡を見た時にも「まあしょうがない」と自分に言い聞かせた。

それ以降の弟や親との連絡は、お通夜お葬式の日時や必要なものの準備などで進んでいった。お通夜の日、地元の最寄駅に着いて車で迎えに来てもらい、おばあちゃんの家へと向かった。他の親戚家族は既に着いていて、みんな着替えを済ませていた。親戚一同が集まるのはいつ以来だろうか、コロナ禍の影響もあってここ数年全員が一度に揃うということはなかった。僕自身はそのことは少し寂しいなとは思っていたけど、それも仕方ないだろうなと。再び親戚一同が揃う日がおじいちゃんの葬儀だなんて、皮肉である。葬儀は親族だけで行うので、式場に誰かが来ることは想定していなかったし特に誰かにこのことを知らせていたわけじゃなかったけど、生前務めていたり任されていた仕事や自治体のあれこれなんかで、数人の知り合いが見えられた。おじいちゃんの人望が垣間見えた瞬間でもあった。お通夜は1時間ほどで終わったと思う、母親が長女ということもあってか、自分たちの家族だけ式場で寝泊まりすることとなった。夕飯を食べてシャワーを浴びて寝る前、日付の変わった深夜、ゆっくり見たいと思って祭壇の目の前に立った。正直この瞬間もまだ現実のものとは思えてなかったと思う。でも確かにおじいちゃんの体は目の前の棺桶にある。そうか、そうなのか。言い聞かせていたと思う。

翌日。再び式場に親戚一同が集まった。お葬式が始まって1時間ほど過ぎておじいちゃんの棺桶、体の側にお花や思い出の品を置いていく、この瞬間から「もう本当にお別れなんだな」ということを実感した。この時から涙を堪えるのに必死だった。綺麗なお花をたくさん並べて、おじいちゃんがよく来ていたシャツも綺麗に畳んで置いて、大好きだったあんぱんも袋ごと置いた。親戚のみんなそうだったと思うけど、本当に悲しかっただろうな。僕はとても悲しかった。あの時を思い出してこれを書いている今も涙が出そうだ。それから火葬場へと移動した。本当の本当に最後の瞬間。最後におじいちゃんの顔をもう一度見た。「気をつけていってらっしゃい、こっちは大丈夫だから」そう言い残した。一番最後におばあちゃんが一言、おじいちゃんに別れを言った。その声が本当に悲しそうだったのを覚えている。

おじいちゃんのお骨は年齢の割にとても丈夫で、この形のままだと骨壷に収まりきらないとのことで、スタッフの方がごめんなさい申し訳ありませんと何度も言いながら力づくで骨を折っていった。葬儀が終わり、おばあちゃんの家へと戻った。着替えたり今後の予定を確認したり各々動いていた。ふと外を見ると土砂降りになっていた。お葬式の最中はギリギリ保っていた天気が、気づいたら崩れていた。おじいちゃんは相当な晴れ男だったようで、この日もその晴れ男っぷりが発揮されたんだろう。親戚はそれぞれ帰っていって、自分も東京へ戻る準備を進めていた。お葬式で使ったおじいちゃんの遺影、これを分けてもらえないか聞いてみたけど無理そうだったので、大きめの写真をiPhoneで撮た。東京に戻って家の近くのコンビニでプリントアウトして写真立てに入れた。それからはいつもと変わらない日常へと戻っていった。

 

 

あれから1年。

昨日実家に行く用事があったので、ついでにお墓参りに行ってきた。去年と似たような天気だった。雨が降るか降らないか微妙な天気。雨は降らずに済んだ。写真はお墓のすぐ後ろの景色。

今日はお昼過ぎまでは嵐のような天気だったのに、それ以降はそれまでが嘘かのように暖かくて晴れた1日になった。おじいちゃんは若いことはかなりやんちゃしていたようだけど、その破天荒っぷりと晴れ男っぷりの両方が発揮されたみたいな天気だ。おじいちゃんすごいな。

 

本当に月日が過ぎるのはあっという間だなと感じる。もう1年経つのか、経ってしまうのか。去年と比べて何か変われることができただろうか。色々思い返してる。この1年ほぼずっと心のどこかに「大好きなおじいちゃんは死んでしまった」という思いが消えずにいた。今もある。今でさえ時々夢におじいちゃんが出てくる。思い出す度にひどく悲しむとか、そういうことではないんだけど、いや悲しいことには変わりないんだけど、『おじいちゃんはこの世にはもういない』という事実を感じる。あの日、亡くなる2日前に連絡をもらった時に急いで地元に戻っておじいちゃんに会っていればよかった。生きているうちに最後に会っておくべきだった。この気持ちは多分自分が死ぬ日まで忘れずに残り続けるんだろうな。おばあちゃんはまだ生きている。生きているうちはたくさん会いに行きたいなと思う。

 

おじいちゃんのことは大好きだ。おじいちゃんが愛した場所を、僕は守っていきたいと思う。大切にしていきたいと思う。おじいちゃんに胸はって一生懸命生きてるよ、夢に向かって全力で進んでいってるよ、そしていつの日か夢を叶えられたよと、報告出来る日を迎えられるように強く生きていきたいと思う。今一度、心を入れ替えるつもりで日々を過ごしていければなと思う。

 

せっかくの機会なのでこうして記憶や気持ちを表してみたけど、さっきも書いたけど、時間が過ぎていくのはあっという間すぎる。だからこそ1日1日を大切にしたい。そう思う。出来るかどうかは別として、そのことは忘れずにいたい。な、じいちゃん?