きょうはこの家のほうの92歳で亡くなったおばあちゃんの命日…って

もはや身内も少ない私には誰かのお誕生日より命日ばかりでしかない。

 

父方の祖母はその3日前までは玄関わきの和室に増設したミニキッチンで毎食ひとり

作っていてトイレは廊下を挟んで前ではあるものの最後まではってでも行くと言い…

ほんのたまだけど掃き出し窓のほうから叔母が訪ねて来ると母にきつくあたりがちで

祖父が亡くなったあと新しく買い替えて部屋に設置したお仏壇には手を合わせてから

出勤する父へ前夜に母には何も世話になっていないと言い放った翌朝のことでした。

 

 

もちろん母は我慢に我慢して母なりに人並み以上には尽くして来ていたと思うし…

たててあげれば安泰なのてそうしてほしいと嫁いだときから祖父には言われていたし

父は母子家庭のように家のことより仕事優先で家のことは母に任せたままでした。

 

そんな母を私は子供の頃からずっと不憫に感じながらも早く家から出たかったのに

短大を出てすぐ病気になり1年だけしか働けずに3年で戻って来てしまってからは

実家にお世話になりながら家事手伝いしながら長く暮らさせていただいて来ました。

 

もともと気性は強かったもののトイレは自分で行っていましたが2日間は体調不良で

食事も出来ずに寝込んでいたしかなり高齢でもあったのでその死因は心不全でしたが

きっと優しかった祖父が申し訳なくなり見かねて連れに来てくれたんだと思います。

 

 

初孫でもない内孫の私へも嫁の子供として風当たりは母へと同様に強かったけれど

幼い頃のリウマチ熱での通院や衣類など成人式の着物まで祖母に連れられてでした。

 

いちばん下に跡取りとして生まれた弟だけは可愛がってもらっていたので前日には

枕元に呼ばれてこの家を頼みますと手を握っていましたが私は合わずじまいでした。

 

それでも私は2年前のこの日…やっと母をICUで預かってもらえることになり

母の様態での心配はあったものの介護からほっと解放された2年前の起きがけに

ギリギリまで持たせられていた不調からの心臓発作で命拾いしたのはきっと祖母。

 

昨年の母の100か日法要のときに祖母の27回忌も終えられたので早めにもう

区切りとさせていただきましたが私んちはその弟も結婚しておらず私よりは
長生き出来そうには思うのですが陽気でお気楽な癌患者さんなので先もなし。

 

ただ厳しい祖母でしたがリウマチ熱は心臓の病気になるとどこかから聞いたのか

妹を背負って行く母に代わり汽車で遠くの大きな病院のほうまで通ってくれたり

高尚な感じの加賀友禅の振袖を選んでくれたことは覚えているし感謝しています。

 

そして命日に心臓が止まりかけていた私を母より先にまだ来ないようにと

救ってくれたのもおばぁちゃんだったりするのかもしれないなと思います。

 

 

この家のおばぁちゃんのことだけで長くなってしまったのでいったん終えて

今年最後の通院のようすなど久々に妹に会えたお話などはまたあとにします。

 

 

   

   

 

2年前いきなり救急搬送されてしまったお話は2年前のブログに残してあります。

 

               ↓ ↓ ↓

 

トイレで転倒してからまったく動けず自宅に連れて帰るも難しかった母が食事も水分も摂れなくなり救急搬送していただいて1週間になります。 

 

12月2日の深夜に救急車で高度医療の大きな病院へと搬送していただいたものの顔の上半分が内出血し目はつぶれたように開かなかったですが脳にまでは達していないとのことでコロナで満床と言われ家に連れ帰るしかありませんでしたが

血液の感染症で普段の血液検査はいつも合格な母の血液データの文字は救急の医師の説明画面を見ると状態が悪いことがわかるほど数値が赤や青だらけの状態になっていました。

 

いきなりICUへの入院となりましたがコロナと時を同じくして頻脈からいつしか徐脈へと進んでしまい苦しくて思うように動けない私は

病院の事務職員さんと歩調を合わせるも困難なのにあちこち速足で案内され息切れしながらも多くの書類に記入したりかなり大変な1日となりました。

 

 

ただ母のことを病院のほうで預かってもらうことになりホッとしたのか疲れがたまってしまっていたのか…私まで翌日には救急車で連日どうしても搬送していただかなくてはならなくなってしまっていたのです。

 

 

今度こそ病院で母を預かってはもらえましたが様態がかなり良くないこともあり来ていただいていた身内には帰らずに泊まってもらいました。 

 

 

いろいろ調べ事もしたかったし眠れない夜を過ごし…朝早くに目が覚めた私は母の在宅介護が始まってからベッド代わりに使っているソファでこの前の文を打ち込んでいました。 そのとき少しめまいがありました。 

 

気のせいかな?と思いましたがまた少しめまいがしたような気がしたので打ち込み中だった文をとりあえず母のこと投稿。

 

そのすぐあとにもう一回ふっと何かおかしな気がしたのですが泊まってくれていた身内が部屋にやって来たので起きて着替えようと思ったけれど立ち上がるも思うように動けず歩けもしない。

 

目が回るとか天井がぐるぐるというようなめまいではなくてふわっと三度めがやってきたなって思ったところ5歩ほどそっと動いてみたものの

そのままホットカーペットにしゃがみ込み何と私は恥ずかしいことに失禁してしまいました。 

 

着替えたいし動きたかったけれどどうしても立てない。 

 

手や足が片側だけ動かないってことはないから脳梗塞ではないにしろ…立とうとしてもどうしても立ち上がれずに座り込んでしまったまま。

 

早く着替えたい状態だけれど無理だったので母に買ったばかりのシートがあったのを取ってもらってあとからになるけれど1枚はカーペットから吸収するため裏返しに敷き…もう1枚は自分のお尻のを吸い取らせるために敷いて…動けるようになるまでそのままじっとしていることにしました。

 

そしてまた少し動こうとしたら再び失禁してしまい…そのあと私は座ったまま気を失ってカーペットに少しおでこをつけてしまっていたらしいです。

 

 

泊まってくれていた身内が心配そうにそばにいてくれていましたが私は大したことない大丈夫ちゃんと手足は動くの…って言い続けていたそうです。  

 

この日このときなぜか心臓は苦しいとも何とも感じなかった。

 

 

そのままの体制でいつしか私は6時間ほども過ごしてしまっていました。 

 

救急車を呼ばないと…って言われたけれど…昨日は母を搬送していただいたばかりで…その20日ほど前にもトイレで転倒したまま動けない母に救急車をしかたなく呼んだばかり…そのうち歩けるから大丈夫…と私は言い続け…少し治まってきたから着替えてお手洗いまで行ってみるからと洋服をお願いして…念のため母に買った尿漏れパッドを当ててそっと着替えそっとそっと立ってトイレを何とか済ませることができました。

 

そして…やっぱ休みたいからと母のベッドに横たわったあとまた失神。

 

 

自分ではふと少し居眠りしてはっと気づくってな感触でしかなかったけれど…違うわ救急車で行かないといけない状態に思うって6時間も見守ってくれていた身内が言ったあとまた気絶してしまっていたらしいです。 

 

 

そのあと救急車もう呼んだから!っていう声に気づいて…救急隊員の人が担架のようなものをベッドに横たわっていた私の背中に差し込んだところまでは覚醒していたはずなのだけれど…持ち上げていただいた瞬間から再び…玄関を出てから離れた場所に停まっている道のりも覚えてなくて気づいたときには救急車の中…出発する直前でした。

 

 

こうして私は一命を取り止めました。 母もまだ治療が続いています。

 

そして私は母がトイレでの転倒で最初に搬送されたその大きな病院で緊急に手術していただき年末で病床がひっ迫するとのことで昨日に自宅にもう戻って来ました。 けれど痛みもあり家事も着替えも大変。

 

救急車に乗り込んでからは何となくぼんやり意識がありました。 

 

母と同じ病院へ行きたいと言っていたのも覚えています。 

 

心臓だから母が入院中のとは別の病院へ行くと言われました。

 

 

救急車の中でも何度か心拍数が低下し…心停止に近い状態になったのも何となく覚えていて…救急隊員の人が声掛けとともに出来るだけ声にして話をしていてくれたほうがいいと言ってくれていました。 

 

たぶん3週間前に母を運んでくださったベテラン救命士さんだったと思います。 

 

バタバタと動き回っていて息が上がってしまい苦しかった私に…息を整えないとあなたまで過呼吸で搬送することになりますからと言っていた救命士さんでした。 心配そうに運ばれたあとも救命で処置をしてもらっている間も後ろのほうでのぞき込んでいらしたのも覚えています。

 

 

救急車を呼ぶまでに朝遅くから8時間は経過…もう夕刻になってしまっていたのでちょうど午後の外来を終えた循環器内科の先生がかけつけてくれました。 そして本当に大変申し訳なくも…もう夜になってきているというのにペースメーカ埋め込みの手術を緊急でしてくださいました。

 

これなしでは私の心臓はもう働かない状態になってしまったらしい。

 

 

けど私…コロナワクチンも受けられていないんですよね。 

それで手術の直前にはPCR検査をすることになりました。 

 

他人とは陰性の身内としか2年もう接触していないどころか外出すらしていない病老介護の引きこもり…でもちろん陰性でした。

 

しいていえば母を2日と21日に救命救急への搬送に行っただけのことでした。

 

 

このときの私のことについてはまた後程に・・・

 

 

   

   

 

  画像の回転まったく出来ないこと多くて逆さまなままなの★(><)