5月3日から5日にかけての休日を利用して、東北太平洋沿岸地域に行ってきました。
今日はそのことについて少し書きたいと思います。
父親の単身赴任先が秋田なので、3日に秋田入りして一泊し、主として4日5日に行ってきました。
4日に石巻や南三陸、5日には気仙沼、陸前高田あたりを回ってきました。
震災当初からたびたび流れた映像などで、一応被災地の現状はある程度は知っていましたが、
まさに百聞は一見にしかずというか、実際見てみたときの衝撃は凄まじかったです。
最初に行った石巻では、町の内陸部を見た限りだといまいちよくわかりませんでしたが、
ある一定のラインを越えて海沿いを超えると、恐ろしいほどに、何もありませんでした。
津波に流されずに残った建物や、震災後に建てられたと思しきものがぽつぽつとある以外は
本当に、何もなかった。
建物があったと思われるあたりには草が生い茂っていました。
がれきの撤去もずいぶんと進んだとはいえ、まだ撤去されずに残っているところもあったりしました。
何もなくなって草が生えているあたりにも、そこにあった家のものと思われるひしゃげた水道の蛇口や、
ビデオテープのかけらなんてものまで落ちていました。
なんというか、本当になんといえばいいのかわからない気持ち。
怒りでもない、嘆きでもない。
しいて言えば無力感のような感情に襲われました。
自然の前には人間はただただ無力であるとはよく言いますが、果たして本当にそうしか道はないのか。
今後自分たちの世代が引っ張っていくであろう時期に、もし再びこのようなことがあったら、やはり自分たちは何もできないのか。
本当は無力感で終わらせるべきではなく、そこから考えを深めていかなくてはならないのでしょうが、
津波に根こそぎ持って行かれた町を実際に目の当たりにしたときは、全然そんなことは考えられなかった。
最後に回った陸前高田では、釘子さんという方に語り部をお願いしました。
この町の震災前の様子、震災直後の様子、復興に向けた動きなどを、
その当時の写真も交えて紹介してくれました。
その人の話の中で特に印象深かったのは、
「我々にとっては震災は終わっていない。未だ震災"中"なんです。」
とおっしゃっていたことでした。
今回のブログタイトルは、震災当日からの経過したおおよその年月です。
この長さは人によってさまざまに感じられると思いますが、
少なくとも自分にとってはすごく長い時間に感じられます。
今年の3月11日。後期試験2日前。
自分はその日が終わる直前まで、今日が3月11日、3.11だということを忘れていました。
恐ろしいことに自分の中では、そこまでに昔の、もう終わった出来事になってしまっていた。
でも現実は全く違って。
復興に向けた動きは始まっていても、その道のりはすごく長い。
おそらく自分たちの世代いっぱい、ないしそれ以上はかかるのではないかと思う。
陸前高田に家が建ち始めるのは、早くとも2,3年はかかるといっていました。
プレハブで早くも商売を始めている人たちもかなりいましたが、
商業基盤をほぼ完全に破壊されてしまった以上、完全に復活するにはやはりもっとかかるし。
東北の人たちにとっては、いまだに震災は全然過去のものではないわけで。
この2年と57日の間で、自分はそういった震災のこと、東北のことをどれだけ考えて過ごしていたか。
逆に、どれだけそれから目をそらしてのうのうと生きていたか。
その間、被災地の方々はどれだけ辛い思いをして、それでも前に進もうと努力していたか。
そう考えると、すごく自分が情けない。
きがします。
自分のこの無責任で漫然と日々を送ってしまう癖はすぐに治るものとも思えませんし、
毎度毎度更新のたびに似たようなことを言っておきながらほぼまったく前に進めていませんが、
それでも、これからの生活では少しでもそういうことを考えて生活できたらなぁと。
今回見た風景、今回得た感情をきちんと忘れないようにしたいなぁと。
そう思います。
相も変わらずまとまりのない、言いたいことがよくわからない文章になってしまいましたが、
これを読んでくださった方が一人でも忘れかけていた震災のこと、東北のことを少しでも思い出して頂ければ幸いです。
書きたいことはもっとたくさんあるのですが、まとめきる自信がまったくないので
それらはまたいつかまで寝かしておこうと思います。
拙文失礼しました。
それではまた。