李白「子夜呉歌」独善解釈
※ 読み下し文は現代仮名遣いによるものです。
※ 一般的解釈とは異なる独自解釈が含まれる場合があります。
子夜呉歌
(しやごか)
李白
長安一片の月
(ちょうあんいっぺんのつき)
万戸衣を擣つの声
(ばんこころもをうつのこえ)
秋風吹きて尽きず
(しゅうふうふきてつきず)
総て是れ玉関の情
(すべてこれぎょっかんのじょう)
何れの日か胡虜を平らげて
(いずれのひかこりょをたいらげて)
良人遠征を罷めん
(りょうじんえんせいをやめん)
夫が戦役に駆り出され、家族が離散の憂き目に遭うというテーマは、唐代の詩に多く見られる。李白の「子夜呉歌」は悲哀の中にもエロチックな情念が混じり込んでいて、不思議な味わいがある。
精神分析学者フロイトは、人間の生きる力を性欲に還元して捉えようとした。その思想にも一脈通じるのが、冬を前にして衣打ちに腕の力を注ぐ妻たちの動きだ。同じ動きをひたすら繰り返す姿には、人間としての本来的な業に根差すものが感じられる。
月も秋風も意思を持たない天然の作用なのだから、「総て是れ玉関の情」というのは本当は間違っている。しかし、その間違いを間違いとも思わせないは、妻たちの中に生き物として当然の情念があるからだ。
ところが、なんだか腑に落ちないものがある。大都会長安を覆う情念は、王朝を亡ぼしかねないほどのエネルギー量になるはずなのに、実際には政治を動かすことはない。一片の月は、長安を均等に照らす。月の光は優しくはあるが、人の思いを撫でつけて行動力を奪ってしまう。ため息に寄り添うような秋の風も、私たちのあずかり知らぬ所で仕立てられた巧妙なたくらみなのか。月や秋風は妻たちの理解者のふりをしながら、実際には諦めへと誘い込む食わせ者だ。
それでも夫を求める妻の心まで、消え果ててしまうことはない。衣を打つ声は、千戸万戸に鳴り渡る。為政者からすれば、これこそ世の中がうまく治まっている状態なのかもしれない。遠征をやめないのは、「良人」ではなく為政者なのだ。