内観めざましcafeより紹介!
2020年8月21日
「やらネバ、ネバネバ病になっていたら・・」
テーマに選んだきっかけは、
えり子先輩の動画撮影奮闘の
Facebook投稿をみたモニカ教授の
「それって、ネバネバ病なんじゃない?」
という一言から!
内観めざましcafeをご覧になってる方の多くは、
「やらネバ」
通称ネバネバ病になっている方もきっと多いに違いない!
と、テーマに選びました。
やらネバ病の反動なのか?
「全体的にふざけた感じで行こう!」と思って
用意した551のうちわを取り出すえり子先輩。
「ふざけられるんかな!?わたしたちに。。」
と、早速モニカ教授の突込みが。
以下
E・・えり子先輩
M・・モニカ教授で進めて参ります。
M
「ふざけるって難しい。ユーモアを出すってことが
今年のテーマだったりするんですけど。
・・私の中でね。」
E
「どこのテーマかと思いました(笑)」
M
「わたし、私個人の!(笑)
大事だなっていうか、素敵だなって思う人は
みんなユーモアのセンスが合うというか、
当たり前のことを堅苦しく、
またはわかりやすく、
直ぐにできるように教えてくれる人は
たくさんいると思うけど、
面白く教えてくれる人、
普通の会話の中で笑える人が
自分の中で目に留まるって気が付いて。
これも内観ですね。
あ、あの人、この人って点と点を線で結んだときに
なんか自分のなりたい自分像が見えるというか。
年も年だし、(モニカ教授は2020年、40歳になりました)
仕事をやってきた年数もまあまあになってきたし、
そろそろ笑わせてもいいんじゃないか、みたいな。」
E
「教授のコメントは、ちょいちょい私くすっと(笑っている)。
ウイットに富んだってやつで」
M
「そんな人でありたいな、って
自分を見つけたって感じですね、今年。
今まではそれこそ、
ちゃんとしなきゃ
という今日のネバネバに繋がるんですけど。
ちゃんとしなきゃ以前の
”ちゃんとしてるって見られなくてはいけない”みたいな。
”私ってちゃんとしてるんです!”って、
伝えなきゃ、伝えなきゃ、みたいな感じで、
(私の)20代の頃は
思い出しても鬱陶しいネバネバした正論女みたいな(笑)」
M&E「(笑)・・・・(;^_^A」
E
「モニカ教授にもネバネバ時代があった!ってことですね?」
M
「あるある!
でも・・・本当のネバネバ要素はなくて、
そうなりきろう!と自分がしてるだけだから、
多分周りはそう思ってなかったかも。
(自分ではきちんとしてる人を演じてたつもりだが、
きっときちんとしてなかったろうという振り返り)
あくまで、(ネバネバ女は)セルフイメージね!」
E
「わたしもネバネバ病は発症しやすいタイプなんですけど。」
M
「昨日もね・・(小声)」
E
「(笑)そう、そのモニカ教授の20代の話でいくと
、わたしも、きっともともとの要素に”ネバ”ってなくて。
ネバっていうか、かっちりした要素。
両親がかなりかっちりしたタイプに、
わたしには見えていて。
両親のレベルに合わせようとすると、
さぞかしかっちりしないといけなくて、
”かっちりしてるということは、
生きていくうえでとても大事だし得になるんだよ”
という刷り込みもあって・・
やっぱり
”遅刻してはならない、間に合うように行こう”とか、
”人の意見はちゃんと聞かねばならない”
”自分の意見は言わねばならない”とか
”締め切りは守らねばならない”とか。
そういうことで『縛って』やってきてましたねえ・・・」
しんみりとするえり子先輩
M
「う~ん。(唸る)
『ちゃんと、というのは意味が幅広い。』
(と、いうコメントが入る)
(コメントを受けて)ちゃんとしてる人って、なんだ?
っていうとこですよね、多分ね。
わたしは、ちゃんとが幅広いと思ったことがあまり無かったから、
すごい新鮮なコメントだなあと思って。」
E
「モニカさんのちゃんとってどんな感じ?」
M
「ちゃんとっていうと・・・
”社会的に認められた”とか、
”ルールに則った”とか、そんな感じかな。
”枠組みにしっかりとはまった”みたいな。
そんな意味でとらえていたから、幅広いんだ!って、
(コメントを読んで)わたしの知らない
”ちゃんと”もあるのかしら?!って(笑)」
E&M「爆笑」
E
「何を求めてるか、って結構ずれるなあって。」
ここで、コメントがまた。
『人それぞれ”ちゃんと”は違うものね』
モニカ教授は
ちゃんとが違う、幅広い、と
捉えられてることに気づかせてもらい、喜んでいます。
(無表情に見えますが喜んでいます)
M
「でもちゃんとした人間ってたいがい模範的人間みたいな。
何かに違反してない、みたいな感じのイメージ、で、
だいたい擦りあうんじゃないの?
80%ぐらいイメージが合う言葉なんじゃないのかな・・。
(例えば)”可愛い”とかっていうのは、
合わないじゃないですか?」
E
「”ちゃんと”のレベルかな・・っていう気が。
ちゃんとのレベルの高さ。」
M
「あ~幅っていうかレベルか・・
”ちゃんと”にはレベルの高さがあるかもしれない考察?(笑)」
E
「5分遅刻はOKかどうか、とか(笑)」
M
「ちゃんとってさ、やっぱわたしは幅とってなかったわ!
もう時間を守る人!が、”ちゃんと”と思ってたわ。
”概ねちゃんとしてる”は、ちゃんとしてなくない?と、
思ってた!」
E&M(失笑!)
E
「こっちのリクエストに応えてくれる人を、
”ちゃんとしてる人”
ってとる人とか(いますよね)・・」
M
「それは、、、ちょっと都合がいいわよね(笑)」
E
「ちゃんとしてる、は
若干そっちの(受け取る側の)都合説もありそう!」
M
「わたしは”ちゃんと”に厳しいかもしれない気づき。」
(内観めざましcafeの『めざまし』は、
get up(起きた時の目覚まし)ではなく、
awake気づくの意味の「目覚まし」ですよ。)
ここで、コメント
『”ちゃんとやってよ”と言うときは、
”こちらの思うとおりにやってよ。”
って思ったときかな』
このコメントがさらなる気づきを・・・!
(このコメントを受けて)
M
「いやあ~私はルールに則っった人が・・
(ちゃんとしてるという事だと)
まだ、言うか!(笑)」
E
「(笑)」
M
「ここは、まだまだわたしの前提(思い込み)を話させてもらうと、
だってさ、
それだと(自分の思いどおりが”ちゃんと”だと)
喧嘩になるじゃん。
Aさんの”ちゃんと”とBさんの”ちゃんと”が・・(ぶつかって)ダメじゃん。
そこは、ホラ、ルールとか。
交通ルールとかさ、目に見えぬ社会人のマナーとか、
本にのってるような・・・
”上座に座らせるべし”とかさ(笑)
あれを守ってる人が、
わたしは”ちゃんとしてる”だと思ってたんですけど・・・!
今日の朝、
それがみんなの”ちゃんと”じゃないかもしれない、っていう(動揺!)」
E
「モニカさんの”ちゃんと”は、とっても良心的な”ちゃんと”
だなあ、と思って(笑)
ある程度、社会的にみんながそうだよねって言える範囲の中の
”ちゃんと”を求めているのであれば、
大きく違反すれば『そうだよね』(同意が)あるだろうし、
例えば信号無視とかね、明らかにみんなが見ても
『そうだよね』ってなると思うので、
ちゃんとを求めがちなネバネバ星人的な人たちって、
自分の中にある期待
”こうあって欲しい”
”私はこんなにやってるのに、あなたはやらないのか”
”こうあるべきだよ”
っていうのを勝手に作り上げていく、
誰にも共有もされいないし、誰にも同意されてないのに
(自分の中で)勝手に膨れ上がっていく”ちゃんと”が、
いっぱいあって、割とそれを振りかざしているときというのは、
自分に我慢が溜まっている時だったりしそう。」
▶︎続く
「ネバネバ星人」~②資質によって陥る~










