余命宣告拒否した母 | ババママdiary

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2024 3月引っ越し、舅(認知症)同居(暫く延期)育児(ASD)介護の二刀流予定
+老犬(下半身付随)介護予定
令和6年7月10日 母没
友引を避けたように旅立った
残された親父をどうしよう…

そんなババママのブログ


先週母の外来受診日
担当医に『母に余命宣告をして下さい』と
伝えていましたが
母は
『まだ、聞きたくありません。
もっと弱ってから教えてください。』と
言った。と付き添いで行っていた弟から聞いた。

しかも、
『最後まで先生に診てもらいたい』とも。

在宅医に診てもらうようになってるので
総合病院の外科とは切れる。
抗がん剤の中止の理由は理解してる。
まず、痛みからの解放が先だから。


先週の金曜日、母が気を揉んでいる
免許証の更新に連れて行った。
連れて行かないとゆっくり療養出来ないだろう。
去年の秋、高齢者の講習は受けていたから
手続きだけで済む。
田舎は金曜日しか免許証の更新手続きが出来ないのでなかなか連れて行けなかったが、ようやく連れていく事が出来た。
杖を付いて警察署に入ろうとするので
『杖なんか付いて入ったら免許証くれんかもしれんよ。私に掴まって歩いて』と言い
『そうやね』と駐車場から腕を組んで歩いた。
母はヨボヨボと私に掴まって歩いた。
病院受診の時は車椅子だったから
自分で歩くのは久しぶりだろう。

免許証の更新は直ぐに終わった。
『こんな簡単な事で家の近くの警察署に行くのに
遠くからアンタに来てもらってごめんね』と私に言った。本当は嫁ちゃんが連れていくと言っていたが『外出先で何かあったら責任取れないよぉ』と言われ、それもそうだなと思い娘の私が連れて行くことになってました。

自宅に着き、玄関の段差で母は
『痛い!!あーお母さんは馬鹿やった〜。痛い方の足から踏み込んじゃった〜』と。段差は10㎝ほどです。
『お母さん、頑張るよ。足が痛いのが治ったら…』と言い掛けた時、もう、堪らず言ってしまった。
『お母さん!嫌な事言うけど聞いて!
足は治んない!!右足の鼠径の転移した癌は
いつ爆発するかわからないんよ!太い血管や神経があって爆発したら出血多量で救急車で運ばれても病院で応急処置するしか出来なくて助かっても2、3日の命なの!!救急車で運ばれたら最後は病院のベッドの上!コロナや感染症の制限があって孫にも最後会えない!会いたい人に会えないまま死んじゃうから私たちは相談してお母さんは絶対家で死にたいはずだって在宅医療にしたの!
だから、外科の先生とは切れて、在宅の先生に治療の権利が移ったのよ!在宅医でも、急変時の処置は出来るの。病院に運ばれた時と同じ処置しか出来ない!やれる事は病院でも在宅でも一緒なの!』
母はポロポロと涙を流し
『…お母さん、そんな状態なの?変だと思ったのよ、先生はお母さんが言う事は遠くを見たり、目を逸らしたりして、リョー君とばかり話すから…もう、お母さん長くないんやね…』
『今言ったのは急変するかもって事。さっき少しの段差で痛かったやろ?癌が大きくなってるの。
いつまで生きれるかはお母さん次第。抗がん剤やめたのは癌は痛いは、抗がん剤で気分悪くなるわ、だったら最後まで苦しいまんまやろ?だから今は痛みから解放してあげて、ユックリ自宅で療養してもらう事にしたんよ。それにお母さんは病院で死にたい?家で死にたい?』
『病院は嫌。病院で死にたくない。
家で家族に見守られて死にたいよ。』
母は泣いてそう言った。
『ごめんね。お母さん。危険な状態だって知って欲しくて。私は他の家族、医療スタッフのように優しくない。厳しい事を言う。それにお母さんにやり残した事、心残りをしたまま逝って欲しくない。そうやろ?』
『そうやね。ごめんね。アンタに嫌な役割をさせて。でも、ありがとう。教えてくれて。お母さんあとどれぐらい生きれるかわからないけど頑張るね』と言ってくれた。
『今日一個終わったね。免許の更新。先生に運転はダメだからねって言われてるけど、更新だけさせてあげたいからって伝えたら『更新だけよ』って念を押されたんよ。』
『わかってる。お母さん右足もう痛みやらで、あんまり感覚とか無いから自分で運転は無理だってわかってるよ。でも、今まで家族で運転出来るのはお母さんだけだったから気になって気になって…』
そうだろうね。気になるよね。今までやってきた事だもん。わかるよ。

本当のことを伝える時
泣きたかったけど 
涙が出そうだったけど
グッと堪えて話せた。

私が泣いたら母は不安がるだろうから。

『お母さん、何も心配する事ないよ。
私の旦那は先に逝ってるし、バアちゃんもジイちゃんもいる。亀屋のおばちゃん達も。
サクラだっているよ。何にも怖くない。
私は死ぬの怖くないよ。旦那に会って喧嘩するつもりや。何で何も言わずに先に死んだのよっ!とか、言いたい事いっぱいあるから死ぬの楽しみなのよ。私が癌だったら抗がん剤はしなくて痛みを取れるだけ取って笑って死にたいと思う。』
『そうやね。みんなに会えるね』
と、母は言い泣き止んでいた。

外来受診と同じ日、訃報が入りました。
大叔父さんが(ジイさんの弟。ジイさんは9人兄弟)入院先でコロナで亡くなったと。
最後は誰にも会えず、
コロナ葬なので火葬場直行です。
大叔父さんは長く航空自衛隊で教育をする教官でした。顔立ちは外国人の様で背も高く、お母さんは若い時大叔父さんと歩くのがとても好きだったと。女の人達が振り返るぐらいイケメンだったと話していた。
大叔父さんの退職金はバカ妻に宗教に使われ、熟年離婚し、妻を自己破産させ、離れて暮らしてましたが
いつのまにかバカ妻とまた再婚。その後アルコール中毒となり、家族に精神科にブチ込まれ闘病、のちに認知症発症したが家族に精神科にブチ込まれたまま他に施設に移して欲しいと大叔父親族サイトはずっと訴えていましたが聞き入ってもらえず、そのまま精神科病院で亡くなったらしい。
お昼に病院から『危篤』と電話、2時間後に『亡くなりました』と連絡があったそう。
もちろん葬儀はコロナ葬なので身内だけと
私たちはお断りされました。
香典送ろうにも宗教に流れそうなので考え中。
大叔父だけは入信してませんでしたが…

そんな事もあり母は
最後、家族や身内に見守られたいと言う気持ちが
より強くなってたと思います。

そして
私は自宅に帰り
自己嫌悪でいっぱいです。
なんで言ってしまったんやw
と、のたうち回っていました…


*育児ブログの筈ですが
すみません。内容が…無気力
今週は倅の事やら、家の事やら
たくさんありましたので
次は書きますね。
ごめんなさい。