中原道正・小夜子夫妻は一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した。数年後、今度は小夜子が刺殺されるが、すぐに犯人・町村が出頭する。中原は、死刑を望む小夜子の両親の相談に乗るうち、彼女が犯罪被害者遺族の立場から死刑廃止反対を訴えていたと知る。一方、町村の娘婿である仁科史也は、離婚して町村たちと縁を切るよう母親から迫られていた――。(光文社のHPより)

 

死刑は是か非か。

そんな難しいテーマの本。

 

 

 

東野圭吾お得意の「ミステリー」を期待するとそんなに面白くないという評価になりそうですが、死刑について考えさせるという問題提起の本として捉えると私はとてもよかったと思います。

なんていうか、息子に読ませたい。

 

最近読んだ東野圭吾の作品はエンタメ的なものが多かったので、ちょっと昔の「手紙」とか、そういう重い系から東野圭吾に入った私としては「そうそう、これこれ!」と思いながら読みました。

 

被害者の面から考えた死刑制度

死刑判決は決してゴールではないが、自分の大切な人が殺されたのに加害者が今も生きているという事実だけで苦しいという気持ち。そして、死刑が執行されたからと言って、苦しみが終わるわけではないこと。

 

弁護士サイドからの死刑制度についての考え

死刑が確定したからといって、反省するとは限らないという虚しい事実

 

殺人の動機や人を殺めてしまうまでの背景について・・・

 

当然、一つ一つの事件がそれぞれ違う背景のもとに発生したものではあるのだけれど、小説によって具体化されていくことでまるでディベートを聞いているような感じでした。

 

介護に疲れて、とかもあるしね。

散々虐待された挙句の、とかもあるしね。

かと思えば

誰でもよかった、とか

むしゃくしゃしていた、とかそんなのもあるしね。

 

突き詰めて読んでいくと「そんなことある?」ってこともあるけど、事実は小説より奇なりというように、事実だって「そんなことある?」ってことよくあるでしょう。

 

社会問題について問題提起してくれるような一冊でした。これを読んで満足するだけじゃなくて、ここから派生して考えることが必要になるので、読書感想文とかにも向いてる本ですね!(中高生の読書感想文に薦めたい)

 

罪を償う方法を、他人が決めることなのか。

 

そもそも、加害者に罪の意識があるのか。

 

いじめも、殺人も、なんでもだけど。

 

最近気になっているのは性犯罪です。特に子どもに関する。

ちょうど先日、四谷大塚の塾講師が、女子児童を盗撮して個人情報を小児性愛者にバラまいた事件での判決が出ました。

日本版DBSっていう、子どもに接する仕事に就く人に性犯罪歴がないか確認する制度について知ったのも、昨年くらい。

性犯罪は、被害者の心の殺人です。

しかも、再犯率が高いといわれている。

先の、四谷大塚の人だって、学生時代にも問題を起こして、そして今ですから。

そしてまた、実刑がないということは繰り返される可能性があるということ。(それも極めて高い確率で)

 

本書の中での小夜子の言い分

「死刑制度の最大のメリットは、同じ犯人にもう誰も殺されないこと」(←しっかり覚えてないので要約しています)

これは、どの犯罪にも当てはまると思います。

 

もう物理的に加害できないようにする、という方法でしか、皆が安心することはできないと小夜子は言いたいのではないかと。

去勢できないなら、日本版DBSくらい受け入れろと思いますね。

反対している人は何を守りたいんだ。ただただ反対したいだけなのか。

基本的人権ってなんだろう。被害者の目線で考えてはいけないのか?

やっぱり私は、ハンムラビ法典すごいって思うわ。目には目を。

 

殺人事件のときとか「精神の崩壊が」とかいうけど、普通の精神で人殺しできる方がサイコパスなわけで。

普通、どう考えたってその瞬間だけでも精神崩壊してないと人なんて殺せないでしょ?

そんなん情状酌量にならない。

介護疲れでとか、どうしようもなくっていう殺人って、加害者は自分も死んでもいいと思っている人が大半のように感じるんだけど違うのかなぁ。そりゃあ「お前さえいなければ」もあるだろうけど、加害者でもあり遺族でもある立場だとやっぱり違う気がするんだけど。

 

あと社会問題で20年くらいずっと気になっているのは尊厳死です。

外国で尊厳死が認められているというクーリエ(雑誌)の特集を読んでからずっと気になってる。

私は、尊厳死については賛成派です。

人は、生に対しての執着がなくなった時にスッと死ねるのかなと思ったりするけれど。

 

社会問題に、深く考えさせられる一冊です。

ご興味あれば。