東野圭吾が止まりません。

ほんとすごいよね、いくつ小説書いてるんだろう。

(オットの視点だと「いくら印税もらってるんだろう」だった笑

確かに、作家版の長者番付でも上位にランキングしてるらしい。すご。)

 

そういうわけで、「白夜行」を忘れないうちに、続編と言われている「幻夜」を読了です。

 

 

こっちも分厚い本だった…!!

 

「白夜行」は過去に一度読んだことがあったけれど、全てすっかり記憶から消えていたので新鮮な気持ちで再読しまして。

 

人間の能力の中で素晴らしいものは「忘れる」力だという話を昔々聞いたことがあって、それを信じているのですが、確かに出産の痛みなんてリアルに覚えていたら次産めないよね。私ってば本当に、「忘れる」能力に長け過ぎておりまして、現在の自分に関係ないことは綺麗さっぱり忘れてしまう。なんか障害なんじゃないかって思うくらい覚えてない笑

友達の中には、人の学生時代の元カレまで何人も遡ってしっかり覚えてる子もいるんだけど、私なんて自分の元カレすら危ういわ。

そんな私なので、一度観た映画、一度読んだ小説なんて本当に綺麗さっぱり忘れてしまうんです。

だって、実際の自分の人生に全く関係ないことでしかないわけだし。

ここまで言い切ったら、じゃあ小説を読む意味とは?とか聞かれそうだけど、小説を読んで感じたことや知ったことは、残るんです。そう、大切なのは話の内容じゃない。そこから自分が感じたことや知ったこと。

 

たとえば、主人公にあったことの心の痛みを疑似体験したり、こうだったらと推測したり、そういうことは忘れないわけで。こんな人もいるんだなと実際に出会ったことのない人の心の内が分かったりするのも小説ならではなわけで。

物事を俯瞰してみる力が養われるのは、やはり読書の良いところなんだろうなと改めて思います。

 

はい、話を戻して「幻夜」です。

 

ネタバレになるけれど、

白夜行の続きと言われて本当は3部作あるうちの2部目だと言われている本書。

本当に3冊目があるのかもわからないけれど。

白夜行の主人公であった雪穂が、幻夜の主人公の美冬なんじゃないかと言われているけれど、私としては、そこは同一人物かどうかを審議するのは本筋ではないと思っていて。

「魔性の女の話シリーズ」くらいで括っていいと思うんだけどなぁ~

どちらの話も、主人公サイドのストーリーは一つも出てこなくて、主人公は何を思っていてどうしたかったのかは謎のまま。

「こんな女がいた」という話。

どんな女だったのかは、物語の登場人物から語られることはあっても本人目線での話は全くなし。

最後まで読者に対しても謎の女のまま。

白夜行と幻夜の関連性についても、

筆者も主人公の女が同一人物かどうかを明らかにしているわけではないし、それすらも読者の想像に任せるという姿勢。

 

謎は謎のままの方が美しいのかもしれないし

正解がないのが正解なのかもしれない

 

いずれにしても、魔性の女とそれに尽くす男の話で「愛」とは何かと問われている気もする。

(あくまでも男サイドからの)

 

女サイドから見ると、すっごい女に夢を持った話だなと思ってしまう。

雪穂みたいに「女優かと思うほどの美女でスタイルもよくて男を虜にする技術にもたけていて、なおかつ頭もよくてなんでも知っていてビジネスの勘も良くて失敗知らずで、その上料理も完璧、なのに男を立てられる」なんて女、いるわけない。

とにもかくにも、誰からも理想と思われる女性像への忠誠心ともいわれる男の尽くし方って、一種の宗教みたい。

 

普通に考えたらありえない話が多いけれど「そんなんできるわけないやーん!」と突っ込ませる隙を見せず、どれもリアルに感じさせるように書かれているのがまた筆者の手腕なんだろうな。

 

いろんな解釈ができて、それについて読者に語らせることができるところが、売れる秘訣なのかもしれない。

 

なんて思ってみたりして。

 

ちなみに、いろんな人の感想を見ると白夜行の雪穂=幻夜の美冬だという結論が多いようですが、私は違うと思っています。

学生時代の美冬がスカーレットオハラに憧れていること、整形をしていることから、雪穂が震災を機に美冬に成りすましたのではなく、美冬はずっと美冬で、整形によって生まれ変わり、なりたかった人になっていく物語だったんじゃないかと。だから、復讐をしている雪穂と、美を追求するのが使命と言っている美冬は別人だと私は思っています。

だって雪穂は白夜行のラストの時点で結婚してすべてを手に入れているのに、それをどうやって上手に手放していったのか、彼女が過去を消してリセットする理由、それもないと思うから。

だから、変に繋げないで、「魔性の女シリーズ」として別の話として読んでも問題ないのではないかと。

作者本人も明らかにしていないので、どうとっても読者の自由だと思うので、あくまでも私の意見です。

 

同一人物だという感想を持つ人とは「へー!あなたはそう思ったんだ!」ってお互いを認め合いたい気分。

 

「あなたの意見は違う」と否定することは、お互いしなくていいと思う。

だってそれこそ、それぞれの感想だし結論は出ていないんだから。

 

最近SNSとかでも、自分と異なる意見に対してとにかく相手の意見を否定するところから入る人を見かけます。

そうではなくて、お互い異なる意見を認めあう風潮にならないのかな。

 

ネット社会になって、Twitter(X)とかでも、自分と同じ意見を持つような人ばかりフォローしたり、そういうのばかりネット側からサジェストされることで、偏った意見しか目にしなくなることって本当に危ないなと思っていて。

自分と同調する意見の話しか見えなくなると、あたかも世間の大多数が同じ意見を持っているかのように錯覚してしまう。

そうすると、「なんでみんな自分の意見に賛同してくれているのに、アナタは違うんだ、おかしい!」となる感覚。

多様性多様性とか言いながら、多様性を耳目することを阻害されている環境って、不思議。

自分に興味のあるニュースしか目に入らない、自分と同じ意見しか目に入らない、そうではなくて、いろんな考え方があることを受け入れたりしていく環境にしていけるといいんだけれど。

 

話が飛躍し過ぎましたが、「俯瞰力をつけるには読書」

 

これが、読書が良いと言われる理由なんだなと大人になって実感しています。

 

息子や娘には、たくさん本を読む人になってほしい。それが、相手の立場に立てる想像力へと繋がると思うから。