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翠雨 ~霞棚引く心模様~
『別れよう・・・。何かもう・・・辛くなっちゃった。』
そう切り出されたのは、付き合い始めて数ヶ月が過ぎた頃だった。
突然のメール。
最初は冗談だと思っていた。
ハニーがそんな事を言う訳がない。
感じた運命が偽りだった訳がない。
あんなにも愛してくれたハニーが・・・幻だった訳がない。
そう思う反面・・・今までの自分の行いが、彼女にどれだけ不安を与えていたか。
それは、考えるまでもなくわかる事だった。
― 怖い ―
それが正直な気持ち。
彼女を失うのが怖い。
彼女のいない未来が怖い。
臆病風に吹かれた俺が選んだのは・・・逃げる事。
何を話せば今までの関係に戻れるのか・・・
彼女を引き止める術を知らない。
断ち切る事も繋ぎとめる事も出来ないのであれば、このまま時が癒してくれるのを待つしか他はない。
情けない事だが、俺にはその結論しか出せなかった。
そして、彼女との連絡を絶った。
「おーい、ヅラー?いるのかァ?」
玄関先から聞こえる間の抜けた声。
いつもなら、その聞き慣れた不愉快なあだ名に文句を言うところだが・・・
今の俺にその気力はない。
「勝手に入るぞー?・・・って、居留守ですかコノヤロー。」
こんな気分の時に、こんな覇気のない顔を見ると、更に気が滅入ってくる。
「・・・はぁ。」
「テメー、人の顔見るなりその反応はねぇだろ!」
「何の用だ・・・銀時。」
「友達の顔見に来るのに理由が必要か?」
予想外・・・と言うより、絶対にありえない台詞を吐いた銀時の顔をジッと見る。
「な、何だよ。俺の顔に何かついてるか?」
「・・・はぁ。貴様はもう少しまともな嘘がつけぬのか。」
「う・・・嘘ってなんだよ。別に銀さん、嘘とかついてねぇけどォ?俺ァ、いつでも正直者だよォ?」
「聞いたのか。」
いきなり核心を突かれ、バツが悪そうな表情を浮かべた。
「・・・・・・おう。」
「そうか・・・。」
銀時とハニーは顔見知りなのだ。
とは言っても、俺のハニーとして知り合っただけで古い付き合いではない。
俺との事で、よく相談を持ちかけられていたようだ。
今回の事も・・・ハニーはきっとコイツに相談しているのだろう。
「お前さ・・・」
「すまん、銀時。今は話す気分じゃない。一人にしてくれぬか?」
「でもよ・・・」
「・・・頼む。」
「・・・ったよ。邪魔したな。」
横目に遠ざかる背中が不意に立ち止まったのを感じ、目をやった。
「あー・・・コレは俺の独り言だから、別に聞かなくていい。・・・いつまでも逃げてんじゃねぇぞ。お前が動かなきゃ何も変わんねぇ。歩み寄る努力をしやがれ。じゃねぇと・・・俺が掻っ攫っちまうぜ。」
「っ・・・!」
言うだけ言って、その背中はすぐに姿を消した。
― いつまでも逃げてんじゃねぇぞ ―
言われなくてもわかっている。
それが出来るのなら・・・最初から苦労などしてはいない。
きっと誰もが言うであろう、その言葉。
言われる事ぐらい予想は出来た。
だが・・・実際に言われて、苛立つ気持ちを抑えられずにいた。
― 俺が掻っ攫っちまうぜ ―
銀時の真意が読めない。
顔を見せずに言い放った台詞。
その背中は、決して冗談ではないと言っていた気がした。
俺は・・・どうすれば・・・
『ハニーを失いたくない。
ハニーのいない未来など、俺にはいらない。』
『このまま銀時に譲ってしまおうか?
ロクな人間ではないが、アイツなら彼女を幸せに出来る。』
『ハニーを誰にも触れさせたくない。
誰かに譲るくらいなら、いっそ閉じ込めて自由を奪ってしまいたい。』
『彼女の幸せを考えるなら・・・やはりここは身を引くべきか。
これ以上、彼女を俺の都合で振り回す事はしたくない。』
こんな矛盾した気持ちが堂々巡りして、結論は出ないまま。
ハニーとの連絡を絶ってから、2週間が過ぎようとしていた。
そんなある日。
恐れていた事態が起きた。
気晴らしに出かけた河原へ行く途中の道で、偶然見かけた人影。
どんなに遠くともわかってしまうのは・・・常に心に思い描いているからなのか。
それとも、会いたいと思っていたからなのか。
ただ、今までのように声をかける事は出来なかった。
自ら連絡を絶っておいて、どの面下げて「会いたかった」と言えようか。
まして、むこうが会いたがっていないのならば、迷惑になってしまう。
「ハニー・・・」
ポツリと呟いた声に、彼女が振り向いた。
届くはずのない言葉。
彼女と俺の距離は、優に100Mは離れているのだ。
それでも、彼女は振り向いた。
やはり、心が繋がっているから・・・そう思った矢先。
隣を、鈍い音を立てた原チャリが追い越していった。
その原チャリが止まると、ハニーが近くへ駆け寄る。
原チャリの持ち主は、ヘルメットを取るとハニーの頭へかぶせた。
銀色の髪が眩しい。
何より、原チャリの後ろに跨る彼女の嬉しそうな笑顔が・・・眩しかった。
呆然としている俺に気付きもせず・・・
2人の姿は、そのまま道の先に消えてしまった。
― El futuro ―