殺人ピエロ
と、いうことで
今日はジョン・ウェイン・ゲーシーのお話を
彼は1972年から1978年の間に少年を含む33名を殺害した男。
子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことから
殺人ピエロの異名を持つ。
彼の父は
躾や礼儀作法に厳しく、父親から徹底的な虐待を受けていた。
彼の父親は毎日「クズ」「間抜け」「オカマ」などと常に彼を責め立て息子を激しく罵った。
そんな父親に育てられたジョン・ウェイン・ゲーシーの精神状態は崩壊していた。
1962年、彼は葬儀屋のバイトを始め、死体置き場で3ヶ月間、住んでいた。
その後、彼はビジネスの頭角を現し、どんどん出世していった。
1964年、マリリンと結婚してアイオワ州に移った。
ケンタッキーフライドチキンの3店舗のマネージャーもやっていたんだよ。
1968年、少年への性的虐待の罪で服役することになる。
15歳になる少年ドナルド・ヴァリューズを「ポルノ映画を観よう」と誘って、地下室で関係を持つ。
逮捕された原因はヴァリューズが訴えたためである。
実刑判決を受けて収監されるが、頭の良いジョン・ウェイン・ゲーシーは獄中で様々な資格を取り模範囚だったため
懲役10年の判決にもかかわらず、わずか16ヶ月で出所。
釈放から半年後、ゲイシーは少年に対する暴行容疑で再逮捕されるが不起訴。
その後、彼は少年をあさるようになった。
途中ですが・・・
書くのめんどくさくなったので
また今度です![]()
=じきるますたー=