Re:shock lyrics

Re:shock lyrics

35歳からの離職日記

Amebaでブログを始めよう!
非日常は簡単に脳を活性化させてくれる。

そしてじっとしていることよりも、

歩くことでさらに思考は普段とは離れたところに

焦点をあてさせる。



その日もそう、

3、4時間ほど面白い会話をしたせいか、

帰り道、歩きながら普段考えないことを考えた。


点が「喜び」で、点線が「幸せ」なら、

線は何だろうかと。。。

点と点の間は何だろうかと。。。


何となく「間」は「喜びと幸せの余韻」かなと思い、

「線」は難しいなと思っていた頃、

目的の駅に到着。

しかし、何やら電車が事故か故障で止まっているらしい。


平日の帰宅時間。

そんなに大きくない1avの地下鉄の駅は、

すぐにホームが沢山の人で埋め尽くされた。



僕は駅の放送に耳を傾けるために、

それまで聞いていた音楽を止めヘッドフォンを外した。



目の前に広がる人の群れから

容易に想像できた
群衆の喧騒が

そこにはなく、


代わりに僕の鼓膜に届いた音は、

柔らかく優しい男性の歌声と、

アコースティックギターが奏でる肌感のあるリズムだった。



音が伝わってきた空気を辿ると、

ちょうど僕が立ち止まった位置の、

反対側のホームで演奏して歌っているアジア系の青年がいた。



普段なら、電車と電車の間、

せいぜい10分ぐらいの間隔で、

数十人がその都度通り過ぎるというのが、

彼のステージなはず。


でもこの日は、

電車の不通という事態により、

彼のステージは1時間になり、

ホームには少なくとも500人、

もしかしたら800人ぐらいはいたかもしれない。


そこはまるで彼のライブを観に来た人でごった返す、

地下のライブハウスのようだった。


そんな偶然の空間で、

彼は臆することなく優しい歌を歌い続けた。

その歌声は、

帰宅や待ち合わせに急ぐ人々の、

なかなか再開しない運行へのいらだちや怒りの感情を、

強制ではなく、ごく自然に鎮めるような響きだった。



ニューヨークでは昔からごく当たり前の光景である、

地下鉄や、時には電車の車内までがステージ化するこの環境。

この街のこの街たる所以の一つ。



そして僕は2年半前の

アルゼンチンはブエノスアイレスの空港での

出来事を思い出した。

あのシンディー・ローパーの粋なパフォーマンス。

彼女もまたニューヨーク生まれの、

この街の文化が産み、育んだアーティストの一人。



その文化は時代は変われど、

脈脈と街に、人に、受け継がれているという素晴らしさを感じる一幕。



すっかり「線」のことを忘れてしまっていた。

「線」ってなんなんでしょうね。



ブエノスアイレスの動画
http://www.youtube.com/watch?v=vmfG5KFi51c
連日のマイナス五度。

サンクスギビングデーとブラックフライデーを控えての

今週は3日間だけの平日、気温は冷え込んでますが、

お祭り前の様相。



祭りといえば先日の「MAMA2013」(会場は香港)

今年は去年よりは期待に答えてくれる祭典でした。

途中を飛ばし飛ばし見ましたが、

6時間番組を見るのは大変でした。



2009年の歌の祭典の様相になってから

毎年見てますが、

2011年の2ne1のステージング(会場はシンガポール)が

やっぱりいまだに最高です。



ミーハーですが、

何事もやはり大衆性があり、成功しているものには

それなりの理由があるのです。

アンチや批判や斜めから見ることは容易ですが、

日本のエンターテイメントが総合演出ではなく、

クリエイターやアーティストが提供する具材に

依存しすぎなのは昔から変わらず、


もはや文化なのでしょうか。。



MAMAは国境を越えました。

今やアジア最大の音楽の祭典です。

演出はちょっと過剰で恥ずかしくなるところや、

受賞の人選にまつわる業界の力関係などが

隠しきれてないのか、


わざと隠してないのかわからないところもありますが、

ここまでのエンターテイメントになっているのはすごいことだと思います。


なにより演出のスケールとアーティストの参加意識が高いことに

つきると思います。



僕自身過去の忘れられないもの、体で感じた感動を憶えているもの、

「1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式」

「1988年のグラミー賞のマイケルジャクソンのパフォーマンス」

「1991年のスーパーボウルのホイットニーの国歌斉唱」

「1992年?のグラミー賞のクラプトンのライブ」

「1998年のフランスワールドカップの開会式」

「2011年のMAMA2011の演出」※これだけ異質だけど。

これらは鮮明に、衝撃的に記憶に刻まれています。



何かと演出、企画がメディア主導になりがちな日本、

何気に伝統や歴史があるために、

変わらないことを良しとする風潮に

なびくことも容易な環境ではあるけど、


大衆性から徐々に離れていってることが多い気がする。



事なかれ主義で無難な事例を積み重ねても、

心や記憶に残るものは箱ではなく箱の中身だけ。



もう少し箱をなんとかできないものかと。

もう20年以上同じ気持ちを抱いてます。


「日本アカデミー賞」
「FNS歌謡祭」
「レコード大賞」
「紅白歌合戦」
「プロ野球ドラフト会議」


「紅白」は変わらないほうがいいと思う程の伝統と

文化的風物詩になっていると感じますが、

他はどうでしょうか。。。

円卓をとりあえずやめてみるところかはじめてみては。



THE JAPAN GOLD DISC AWARDとMTVのVMAJなど

時代を反映した演出をしているものもあるけど注目度がやはり少ない。


ですがフジロックという日本を代表するお祭りがあるのだから、

あきらめるにはまだはやい。

東京国際映画祭も年々浸透してきているし、

日本にもセレモニーがエンターテイメントとして

隆盛し、上質な娯楽が増える日が来ますように。










学校と課題、自炊で1日は終わろうと思えば終わる。

でも、
焦ること、内向きになることで、

何かが劇的に変わるわけじゃないというのは承知。


そんな時は街や公園を歩くだけで視点を変えることができる。


クリスマスモードが日に日に深まる五番街と

晩秋のセントラルパークを歩いてみた。

一番かわいかったカルティエ。



ティファニーは控えめのセンスがおしゃれ。



ボウブリッジ







残念ながらプラザホテルは覆面中。



一番好きな公園内の湖畔の景色



12年前には無邪気にみんなでスケートしました。
懐かしい。

誕生日パーティー。

週末は、
土曜日がルームメイトのCCの誕生日、
日曜日がタカトシ君の誕生日でした。


土曜日は隣の隣の部屋のクラブ兼住居が
CCのパーティー会場に。


僕らの部屋は、
前日から家族が来て、
お祝いの準備やら、
当日も朝から準備。


お母さんにも、お兄さんにも、
本人にも、
パーティーに来なよと誘ってもらったので、
お祝いしてきました。


アメリカンな誕生日パーティーを見て、
なんか素直に、
あー外国にいるなぁ、と思いました。笑







僕らの部屋のリビングは
クラブのVIPルームみたいな使われ方になってました。
夜通し誰かが来てはトークしていく、
こんな感じがずっと。



あれっ、ルームメイトのアリが完全に、
ロックオンされてる。笑



深夜には日曜日が誕生日のタカトシ君のお祝いも。
手前がCCのお母さん(IKEAのコワーカー)。元気すぎる。笑
スウェーデン語の誕生日ソングも新鮮でした。

今日のJefferson。

お気に入りのグラフィティを見て角を曲がると。



何やら若者の集団。
正面に回ってみる。



おおっ!また遭遇した。
自作的PV撮影。楽しそう!!
先日の集団より若いし、怖くなさそう。笑



ノリもなんか恥ずかしそうにやってるメンバーもいて
かわいかった。

給水塔のグラフィティも可愛い。