マナーの悪い輩に対して
気にくわない輩に対して
『死ね』
『殺す』
と軽々しく言う
それを語る貴方は殺せますか?死に追いやることをしますか?
それを行動にうつしますか?
自分の子供の前で誰かに対して『死ね』『殺す』を言いますか?
この言葉をあまりに安易に使い過ぎてはいないだろうか?
子供はもちろん大人も
特に大人に関して言うならば、今迄の人生で命の生き死に何度と遭遇しているはずだし支援活動に参加し誰かを助けたいと思う行動を起こしているものなら尚更、その2つの言葉が安易に語っていいものではないのは理解し発言し、行動しなければいけないはず。他の表現方法もあるだろうに。
かくいう自分も使っていた時期もあるし数年前までは腹の中で思っていたのは否定しない。倒れた親父を2時間以上も放置した相手に本気で殺しに行く一歩手前まで行った事実がある。
自殺未遂もしたしね。
何が完熟で何が未熟という意見もあるかもしれないが冗談でもノリでも軽々しく語ってはいけない言葉だと思う。
未熟な大人の発言を、もっと未熟な子供達が目の当たりにすれば・・・
あぁ、それが当然なんだ。当たり前なんだと思う。
時としてそれが引き金になり衝動的に誰かの、または己の命を絶とうとする。
そうは考えられないだろうか?
自分は42年前に友人を自分の目の前で、川で亡くしている。
その時も、その後も『お前が殺した』『お前が死ねばよかったのに』と言われ続けた。
そして警察や自衛隊や消防、医療従事者や葬儀関係以外の人以外では普通より多くの死というものを体験してきた。
自分自身も生死の境を何度体験したかわからない。
いつからか非暴力、ひいては怒りの感情も捨てようとしてはいるがまだまだままならない。
でもこれだけは言えると思う。
負の連鎖はどこかで止めなきゃいけない。
やられたらやり返す、倍返しするではずっと終わらない。
『殺られたらそれで終いじゃ』
そうかもしれない。
でもやられたらやり返すが繰り返された史実より、負の連鎖を止める史実の方がはるかに少ない。
なら今の世の中はどうですか?やり返すだけの歴史が良い方向に向かっていますか?いませんか?
子供達が大人の姿や言葉を見て聞いて育つんだよ?
その辺は気をつけないといけない。
極論を言うならば、自分は殺す側より殺される側
殴る側より殴られる側でいたい。
命と言うもの、軽んじて語っていいものでは無い事を
それを教えていきたい。
そして何かを救おうと思い、行動するのであれば軽々しく考えないで欲しい。
せめて自分の子供位にはそうしてあげれませんか?
自分には人間の子供がいません。
でも、自分なんかの為に命をかけて答えてくれた息子と娘がいます。
その存在が、そして助けようとして我が手の中で冷たくなっていく命を何度となく目の当たりにしたからこそ・・・
このブログを記すに至って自身へのリスクは充分承知の上
だからこそ今日ここに記しました。
その事が周りへ影響あるかどうかは分からない。
でも、みんなも何となく感じているはず。
負の連鎖を
命の重さを