皆さんこんにちは!
サムライ整骨院の後藤です( ´ ▽ ` )ノ
え~と。お恥ずかしい話なのですが、最近ふと・・・気づいた事がありまして。。。笑
聞いてくれますか???笑
【中国って・・・日本の”西”にある事に最近気づいたんですよ。】笑笑笑
『は?』って思うでしょ?笑
『こいつバカなのか?』って思うでしょ?笑
小中高とま~ったく勉強してこなかったのがこういう所でバレバレになるんですよね。笑
ただなんとなくですよ。『東洋医学の考え方と西洋医学の考え方』について色々考えていた時にですね。。。
『あれ?東洋医学って中国やインドの医学だけど地図で見たら西にあるし!!Σ(・□・;)という事は・・・やっぱり・・・アメリカが東にある・・・なぜ逆なんだ・・・』
と、ふと思ってしまったわけですね。笑
あ・・・これが信念システム。。。
固定概念、、、エゴというやつか・・・。としみじみ感じたわけです。笑
西洋、東洋と名前が付けられた由来はよく知らないのですが、日本の地図ってもちろん【日本が中心】に平面上に書かれているんですよね。
なので東にアメリカ、西に中国がある事に最近気づきました。笑
そんな気付きを最近得たわけです。笑
ただの笑い話でしょ?笑
でも、私にとってはとっても素晴らしい気付きであって、学びになったんですね。
ここで私が根本的な『当たり前』と勝手に思っていたのが『世界地図の中心は日本』
という大きな勘違いですよね。
ポイントは
『平面で見るか?立体で見るか?』
『中心をどことして見るか?』
ですよね?
平面で見るとアメリカにとっても中国は『西』になるんですよ。
でも立体で見ると『西』にも『東』にも見えるのですが、距離的に近いのは『東』なんですね。
平面が当たり前と思っていたら『西』だし。
立体が当たり前と思ったら『西』でもあるんだけど『東』の方が都合がいい。
ではでは、
四人で見てみましょう。
一人は日本を中心に、
二人目は中国を中心に、
三人目はアメリカを中心に、
四人目は日本の真裏になるのでブラジル?になるんですかね?
要は4方向から四人で見たときに、
『中国は東西どっち?アメリカは東西どっち?』
と聞くと
日本中心の人は『中国は西、アメリカは東』
中国中心の人は『アメリカは真裏』
アメリカ中心の人は『中国は真裏』
ブラジル中心の人は『中国は東、アメリカは西』
になりますよね?
*基本知識があまりにもないので、実際に中国の真裏がアメリカかは?知りません(^◇^;)笑*
*立ち位置*
*目線*
*当たり前な常識的観点*
などが違うと『答え』も違う。
という事です。
『私はココが中心というのは当たり前』
という固定概念一つで様々な方向の答えを見逃しているという事です。
違う所を中心にして見ると見える世界が全く違うのに。
【意識】の置く場所を少し変えるだけで、世界は全く違うものになります。
『なんとか病は必ず助からない病だ!』
なんて事を当たり前としているのであれば、その通り助からないかもしれません。
ですが少し【意識】の中心を変えれば、
『あ~なんとか病ね~。あんなの簡単だよ』
という人がもしかしら世界中の中で誰かいるかもしれませんよね。
ただ単に【知らないだけ】
釈迦が【無知は罪】といったのはこうゆうことか~。
とも捉えれました。
【無知は罪】とは、
罪だということを知ってもいない者は、罪だと思っていないので、改善のしようがない。が知っていて罪を犯す者はまだ罪だと知って犯しているので改善の余地がある。
という意味なのだそうですが、他の世界を見ようともしないで『これが当たり前だ』と決めつけている者は、他の世界を知らない、知ろうともしない【無知な者である】と言われた気がしました。
だから100人いれば100人の『当たり前』があるので、100個の世界観が存在し、そこには100個の現実と100個の世の中が存在している。
そのうちの自分というのは所詮この1個の世界でしかないわけで、残り99個の世界は知らない。
だが、知ろうとすることはできるが、誰もしない。
だから『当たり前』がかみ合わないから、喧嘩になる。
じゃあ、まず自分から他の世界の『当たり前』を知ろうとしてあげることが、お互いの助けになるのだろうと思います。
だからこそ『絶対』は無く『偶然』もない。
全て『可能性』であり『必然』である。
人としての道を外れない限り、何をしても正解『当たり前』
それが自分の世界だから。
でも法律は他の世界の話だから知ろうとしないと、間違えると捕まっちゃいますよね。
だからこそ、人だけで無く何にしても『他を知ろうとすること』『知らない世界を見ようとすること』が結果、自分を守ることにつながるわけですね。
と。。。
『中国が西にある!Σ(・□・;)』
と私の『当たり前』からの気付きの笑い話でした。笑
当院のブログをご覧いただき、感謝いたします。