愛と哲学と朝寝坊。 -2ページ目

愛と哲学と朝寝坊。

いつか僕の言葉に価値が宿るといいなあって思う。

これが誰かの目に晒されることがあるのだろうか。いままでは他のSNSで常に誰か友人が見てくれていたけど、そうでなくなって、果たして、誰に向けて書けばいいのかわからなくなりました。でも言葉というか、日本語の芸術性を追求したくて、わざわざ登録したから少しずつ書いていきたいと思います。もし少しの人でもいいからこれを見てくれたら、面白いと思っていただけたら幸いです。

記念すべき1回目に何を書こうか悩んだのだけど、まず芸術というものの評価の基準について書こうと思います。素晴らしい音楽や絵画などが素晴らしいとされる所以て何なんでしょうね。最近わからなくなってきました。趣味と呼べるほどのものじゃないけど、とにかくその類いの一環として生け花の展覧会に行きました。そこには所謂、「生け花」と呼べるものがたくさんあったのだけど、中には(少なくとも素人目には)そうでないものもありました。突然、鉢に芝生が敷き詰められていて、その真ん中にレモンがまるごと置いてあったりするんです。もちろんこの作品には技術介入の要素はなくて、単にレモンを置くという点における発想が芸術なんだと理解しました。それは見る人が見たらすごいものなのか、あるいは、すごい人がやったことだからどうであれすごいものなのか。そういう問題になってきます。少し話は変わるけど、「彼氏だから好きなのか、好きだから彼氏なのか」という問題は実は非常にこれに似ています。さっきの問題が後者だったとしても、そのすごい人はおそらく、それまで所謂「生け花」と呼ばれるものの範疇で、すごい作品を作ってきたんだと思います。そうして、すごい人になったからこそ、そういう斜め上の作品も評価されるようになったのだと思います。仮にそのレモンの作品が処女作だったら、きっと先生みたいな人に叱られて終わるんでしょうね。誰かを好きになって付き合っても、どこからか、好きだから付き合ってるのか、付き合ってるから好きなのかという問題にぶつかりがちです。私はそれが交際相手であれ鉢の上のレモンであれ、ニュートラルな目線でそれを評価する必要があると思います。どうですかね。

私は将来物書きになりたいと思っていて、別のサイトでよくなにか書いて投稿していたのだけど、評価してくれる人はみな私の友人たちで、だからそこにはニュートラルな目は存在しませんでした。だから、そういう環境から出なくてはと思ってこのサイトに登録して書くようにしました。文の芸術性は読みやすさにあると思ってます。読みやすくて、また読みたいと思える文章を心がけて書きます。だからぜひ、これが目に止まった人は読み続けてくれるととても嬉しいです。

ではまた。