大切に想ったものは

なくなってしまうと本当に悲しい

だから

自分の人生において「大切」っておもうものを

出来る限り少なくしよう

ワタシは「大切」を持たないように生きていこう

 

 

大学時代のよくある、でも自分からしたら人生一大事の大失恋

その後

大好きだった人を立て続けに亡くしたり

家族が解散したり(両親の離婚)

ワタシの人生には「別れ」がついて回った時期があった

どれもキツかった

きっと生きていれば

さっきすれ違ったあの人にもいつか必ずあるような

そんな出来事なのに

「自分」として生きていると

どれもが「自分にだけ」降りかかる

まるで選ばれたような出来事のようにおもえて

ほんとにキツかった

 

防衛本能が働いたんだろう

「持たなければ、無くすことはない」

それは「喜び」よりも「悲しまない」ことを選択した

ワタシの決断だった

 

 

でもワタシは恋をする

それから何度も恋をした

その度に天に登り

地獄に落ちた

あたらしい自分と出逢い

自分のどこかを持って行かれた

なんでか、上手に人を好きになれなかった

いつまでも、自分も上手に好きになれなかった

「人を好きになっても4割は自分に置いとく」

そんなよくわからないルールまで設けたのに

気付けばワタシは尽くそのルールを無視している状態だった

 

 

その人との別れが辛かった

そう思っていたけれど

本当の潜在的な辛さはそこじゃなかった

ワタシは「その人」と別れることで

自分が無くなるのが辛かったのだ

自分ごともっていかれてしまうから

その人がいなくなった後の空虚感はいつも酷かった

いつも「からっぽ」のワタシがそこに残った

 

 

ワタシは自分を自分で肯定出来ていなかった

肯定してくれる、マルをつけてくれるのは

いつも一緒にいる人で

だからその人と一緒にいると

「マル」と言われ続けている気持ちだった

だからだろう、ワタシはいつも相手に全部投げてしまう

自分の肯定感も 存在感も

なにもかも

 

 

人生37年目

ようやくこの事に気付かされたのね ワタシ

遅いかな?

誰と比べて?

比較なんて 最もバカバカしい思考

わかっていてもしちゃうよね

人は誰かと何かと比較して

幸せだと確信したり

不幸なのだと決定したり

ワタシもそうだった

今も少しそうかも

 

でもわかったから

ワタシは「それ」に立ち向かう準備が出来たんだ