浪人をしている間、僕はロクに勉強もせずに、引っ越しのアルバイトをひたすらやっていた。

引っ越しのアルバイトは高校を卒業した3月に部活で一緒だった人に誘われたことが始めたきっかけだった。

 

3月中旬から5月のGWまで繁忙期を迎える引っ越しで、僕は土日と平日で合わせて週5日は働いて、

朝8時には出社して、夜20時近くまで働いていたと思う。帰宅して寝て朝起きて仕事してを繰り返していた。

 

僕にとって、引っ越しのアルバイトはお金を頂きながら筋トレできる仕事だと思っていて、

割と楽しかった。中には1週間続かずに辞めて行く人も多かった。

肉体的にはきつい部類のお仕事だったと思うが、僕にとって肉体的な苦痛は大して苦にならなかった。

 

引っ越しのアルバイトを2年近くやって、専門学校へ入学後ほどなくして、平日は学業があるため、

土日だけのシフトになり、そのうち引っ越しのアルバイトはやめた。

 

浪人している間に、もう一つアルバイトをした。

昔から祖父の影響もあってか、映画が好きだったためレンタル屋に興味があってそこで働いた。

 

けれども、仕事内容と時給に納得がいかなかったため、3ヶ月程度で辞めてしまった。

 

レンタル屋は当時788円の時給で働いていた。引っ越しのアルバイトは最低でも1000円あった。

 

 

専門学校に入学してから程なくして、僕は時給のいいアルバイト探しをした。

時給1250円のアルバイト。今はなきPHSのデータ通信の販売員の仕事だった。

PHSは日本発の技術で、いまだに病院などで使用されているが2021年1月31にサービスが終了する。

 

当時はDDIポケットという会社で、後にウィルコムとなりウィルコムが経営破綻後はソフトバンク系列の

Yモバイルが事業を継続していた。

 

僕は専門学生の3年間、平日は9時30分から15時まで学校へ行き、

土日は朝から夜までPHSの販売員(ヘルパー)の仕事をしていた。

 

ヘルパーの仕事は、僕にとってとてもやりがいのあった仕事だった。

今でこそwimaxやデータ通信端末はたくさんあるが、当時はエアーエッジと呼ばれ、

パソコンにカード端末を差し込んで1MB/bpsで通信するような感じのものだった。

まだADSLやISDNの時代だった。

 

だから、お客様へパソコン購入時と同時に提案をして、パソコンとセットで購入していただくことが多かった。

そもそも、エアーエッジの存在すら知らない方が大半だった。

 

フロアに突っ立てるだけで売れるサービスではないので、

パソコンを案内しつつお客様が興味を示したら説明をする感じだった。

 

専門学校では、イラストレータやフォトショップ、メタセコイア、3DCG、プログラミングなどなど、

マルチメディア学科だけあって、様々な分野のことを浅く広く学んだ。

 

イラストレータを知れば、年賀状をイラストレータで作ったりして友達へ出したりもした。

学校で学んだ中で僕の性に一番あったのがプログラミングだった。

 

つづく。