明日は、奈良の母(旦那の母)のCT検査の結果を聞きに行く日です
奈良の両親は、父が39歳の時に重い脳梗塞になり、それ以来、自宅に業務用ミシンを入れ、刺繍業を営み生活をして来ました。
当時、大ちゃんは小学校低学年で、弟は幼稚園でした。
朝から晩まで、ミシンを回し、身を粉にして働き、子ども二人を育てあげました。
父が脳梗塞ということもあり、母は様々な意味での家族の柱となり、家族を支え、守って来た人です。
脳梗塞のこともあり、父は自分が看取るものと思って生きて来ました。
その母が、2012年3月19日に緊急入院となり、4月4日に手術となりました。
病名は、胃癌です。
ステージⅣの、しかもbでした。
ステージの中に更に「a」と「b」があることを初めて知りました。
つまりは最も進行している状態だったいうことです。
発見が遅れたこと、また、スキルス性の胃癌だった為、相当厳しい状態でした。
当時の状況は、大ちゃんは東京で解離性障害発症の為、健忘症となり奈良以外の記憶に蓋をした状態となってしまいました。
当然のことながら、私との記憶にも蓋をしてしまいました。
そしてその頃私も大ちゃんが休職して9ヶ月目頃に、調子を崩し、同じ病院にかかり、軽いうつと診断され薬を飲んでいる状態でした。
記憶を蓋したこと、私自身も調子を崩していたこともあり、双方の両親が相談をし、大ちゃんはひとまず奈良へ一人戻ることとなりました。
つまり、大ちゃんと私は奈良と東京で別々に暮らすことになったのです。
ですので、奈良の母にひとまず大ちゃんをお願いすることになり、電話などで大ちゃんの様子を聞いたりしていました
奈良へ戻った当初は、大ちゃんもパニックを起こすこともあり、弟がなだめつつ押さえつけたり、夜中家を抜け出さないよう母が耳を凝らしながら夜通し起きていてくれたこともありました。
うつになって休職してから、電話自体に怖さを感じるため、初めの内は大ちゃんと電話で話すことすらできませんでした。そのためその間、大ちゃん自身とのやりとりは、大ちゃんが調子よければ返してくれるメールのみとなっていました
それも少しずつ落ち着いて来てからは、短い時間でしたがたまに電話で話せるようになりました。
少しずつ、大ちゃんは落ち着きを取り戻して来ていましたが、まだまだ回復の道を歩き始めたばかりでした。
その為その大ちゃんと、脳梗塞を煩った父とでは生活がままならないこともあり、緊急入院となったことを大ちゃんからの電話で知らされた私は、その日の内に新幹線に乗り、東京から奈良へ駆けつけた状態でした
ひとまず緊急入院をしたのはいつも通っていた近所の病院でしたので、すぐに母の顔を見に行きました。
私が病室に現れた時の母の顔は今でも覚えています。
ありえないものを見た、そんな感じでした
「いやぁ~~、じんちゃんっっ!!!あんた、なんで?来てくれたん?大丈夫なん?いやぁ~~・・・ごめんねぇ。ビックリしたやろ?」と言っていました。
後から聞いたら、案の定、私が来ていなければ母は「入院なんかしてられません!」と言って、退院してしまおうと本気で考えていたそうです。
間違いなく、本当にそれをしてしまう人なので。。。
腫瘍は相当大きくなっていて、まともに食事ができない状態でした。
腫瘍の出血プラス、元々の貧血体質もあり、かなりの貧血状態でした。
そんな身体でも、自分のことよりも家族のことを心配してしまう母です。
そういう人なのです。
胃の全摘はもちろんですが、浸潤していた場所がかなりあり、周辺のリンパ節切除(切除可能な箇所のみ)・脾臓全摘・膵臓の一部切除・横行結腸の一部切除の大手術となりました。
手術室から、無事戻れない可能性も低くはなく、術後の合併症も相当確率は高かったのですが、母は様々なことを奇跡的にくぐり抜けてくれました。
もちろん、先生方のご尽力あってのことですが、やはり母さんはスゴイ!と改めて思いました。
術前、母が「ようやく年金をもらえるようになったのに、ひとっつももらわへんで死ねへんわ、もったいない!!」と言っていたので、「分かった、じゃあお母さんが逝っちゃいそうになったら、耳元で「お母さん!年金!」って囁くよ。」「そりゃええなぁ。」と笑いながら話していました
術後、麻酔から目を覚ました母に「さすがだね、お母さん!すごいよ!」と声をかけました。「私はなんもしてへんで、先生たちがな。目ぇ覚めたら終わっててん。」と言っていました。
現在、母は自宅にて、抗がん剤治療中です。
がんばって治療をしてくれています。
こんなことでもなければ、ミシン部屋で倒れるまで働いていたであろう両親は、思いがけず世間一般で言う「老後」的な生活を過ごさせてもらっています。
これまでの生活にはあり得なかった、散歩や昼寝をしています。
叶うことなら、この時間を少しでも長く、過ごしてもらいたいです。
そして、あの日、突然の奈良行きを反対も賛成もせずに見守ってくれた東京の両親には、本当に感謝しています。
どんな思いで止めずにいてくれたのだろうと思うと、言葉がありません。
たくさん心配をかけ続け、安心とはほど遠い場所にいるけれど、一つでもその心配の種を減らせたらと思っています。
なかなか実践できませんが、少しでも長生きしてその猶予をもらえるとありがたいです。
明日の検査結果が、ツライ結果とならないことを祈るばかりです。