近頃の大プーは、疲れた時に「疲れた」とか、しんどい時に「ちょっとしんどい」とかと言ってくれるようになりました。


今年の父の日を最後に、大プーの大きな落ち込みは姿を見せなくなりました。


「しんどい」時に「しんどい」と言わずにいることの方が難しいかも、私。

「しんどい」時に「しんどい」と言うことが難しい、大プー。



大プーのこの病気は、一生つきあって行く気がしています。
つまりは、私もつきあっていくであろう、病気となります。



かくいう私も、昨年の10月頃、少々うつになりました。

大プーが休職してから、9ヶ月目のことでした。



ささいなことで、運転中にも関わらず、号泣してしまったり、相手の言い回しを勝手に悲観的に捉え、シクシク泣いてしまったり、何もないのに、ポロポロ涙が出てしまう。。。過呼吸にもしばしばなりました。



病気である大プーは何かにつけてかばわれているように感じて、病気だから自分の意を汲んでもらえているように感じてうらやんだり、病気だからダラダラしていても罪悪感少ないように見えて、またそれもどこかうらやましく感じたり・・・むっ



そんな浅はかな、バカな私だからバチがあたったのかもしれませんグー


突然、その不安定の波は襲ってきました。
たまりませんでいた。

自分がなってみて、なんて冷たい人間だったのだろう、と思い知らされることがしばしばでした。


どんな風に、復活をして行ったのか、またそれはあらためてボチボチ書かせて頂きます。


そして、大プーも私も、今日、笑っています。


なにより、なにより。

私の実家は東京。

他界した祖母は103歳。その祖母が居た影響もあり、我が家は比較的日本の風習が残っていました。


本物の門松を門に飾り、氏神様へのお参り、年に何回かのお墓参り、節分には家の四方に目指しの頭とひいらぎの葉飾りをして豆まき、お彼岸、お盆、などなど。


東京のお盆は、7月で。あ、東京全般なのかは不明ですが、少なくとも実家では7月でした。

庭に生えている笹を二本切り、仏壇に対に立てて飾り、ナス・キュウリに折った麻幹を足に見たてて刺し、器に蓮の葉を敷き、角切りにしたナス・キュウリ・水を入れ、みそはぎの花を添え、脇に餓鬼膳を備えます。


小さい頃から夕方になると、提灯を携え、父の後を付き、家の角までご先祖さまをお迎えにいきました。

送りは少し遅い時間帯だったので、小さい頃は寝てしまっていて行けないこともしばしば。



祖母が亡くなるまでは、お墓参りも、お盆もお彼岸も、単に「行事」としてしか捉えていませんでした。


炊きたてのご飯を、まずは仏様のお供えようにお皿へ盛り、お線香をあげるのも、正直、お腹なんか空いてると(面倒くさいなぁ)とかって思うこともあったように思います。


でも、祖母が亡くなってから、自分の中で明らかに、仏壇やお墓に対しての意識が変わりました。


自分が窮したり、悩んだり、迷ったりすると、祖母を思うことがあります。

お願いをする、というよりはなんていうか、自分の「基」に思いを馳せる感じです。


「なやんだら、お墓参りをしてみるといい。」という言葉を時々思い出します。


祖母はもうこの世にはいませんが、家族の心の中には今でもかなり大きな存在として、息づいているようです。


仏壇やお墓に対する時、祖母と会話できるような感覚があるのかもしれません。


死んでも、尚、人は生き続けるのかな。




考えたら、自分のこと、あんまり書いてないことに気づいた汗


来週から、職業訓練校へ通学することになりました学校


奈良の母のCTの結果を待って、最終的に判断しようと思っていたので。


今の私の状況下で、学校へ通う、ということ、ずいぶん悩みました。


ちょっと途中、情緒不安定なるくらい、悩みましたしょぼん


大プーにはほんと、お世話かけました。
私がそんな風になれるというのは、大プーが元気でいてくれる証拠です。

でも、調子に乗っていると、また大プーがしんどくなってしまうから、気をつけなくてはっっパンチ!


いっぱい悩んで、泣いて、大プーと繰り返し話して、奈良の両親にも話して、通うことに決めました。


来週から、生活が一変すると思います。

けっこう、ハードだと思います。


でも、なんていうか、大プーが休職して、退職して、今まで、大プーと私の時計だけ、時間が止まった感覚でした。

みんなのはチクタク動いているのに、ジーッと止まった感じ。


でも、奈良の母の病気以来、動きだしたように感じるのです。

たまに、ネジを巻いたり、油をささないと止まりそうになったけど、ゆっくりゆっくり、動き出した感じ。


特別なことではなくて、生かされている間、みんなそれぞれ大変みたい。
その中に、また、再び加われた感じがしています。


きっと、休職中も退職後も、いつだって、時計は止まってはいなかったのかもしれない。

でも、私たちはなんだか、みんなとかけ離れた場所で、時間が流れていた気がするの。


大プーはどう感じていたのかわからないけど。


チクタクチクタク、ボーンボーンッて感じ時計

ここしばらく、ずっとPHSしか持っていなかった大プー電話


奈良でのPHS生活は、なかなか厳しいものがありまして、ホームアンテナ2台態勢で臨んでも、切れる切れる。

圏外、なるなるドクロ


これからの生活を考え、就職活動も含め、携帯を持つことになりました携帯


大プーの強い希望もあり、スマホを持つことに。



購入後から、なんだかんだと調子が悪く、昨日のお墓参りでも、車のエアコンの風にスマホをあてて、冷やしているめちゃくちゃアナログな姿がしばしば。。。むっ


そして、とうとう今日、故障。



妙な緑色の代替機を渡され、帰宅。


プププにひひ




昨日は、奈良の両親と、私たち夫婦と、主人の弟夫婦で、お墓参りへ行って来ましたキラキラ


弟は夜勤明けのまま、車を運転し、お墓へ。

しかし。。。渋滞にはまりにはまって、弟夫婦が到着したのは、14時頃となりました汗

待ち合わせ時間は、11時だったので、3時間遅れです。


待つ私たちも待ち疲れはありましたが、夜勤明けの弟の疲れと、奥さんの気疲れ&乗り疲れを思うと、ほんと、おつかれさまって感じですしょぼん


弟も、妙なところ、お兄さんを見習ってしまったようで、現在が2回目の結婚です。
あ、念のため、大プーも2回目ですムンクの叫び


また、妙なところも似てしまって、お兄さん同様、1回目の結婚はなかなか大変な結婚生活だったようです。


そんな息子二人を持った両親。

本当に、大変な道のりだったと思います。


もちろん、「今」も、「経過」の一つにすぎません。


それでも、弟が揃ってのお墓参りは10年近くぶりだそうです。
奥さんが希望してくれて、実現しました。
ありがたいことだな、と思います。

あ、ちなみに弟の奥さんも2回目の結婚です。


お墓参りの後、おやつみたいな時間でしたが、みんなで食事をしましたナイフとフォーク

とても和やかな時間でした。

何より、両親が幸せそうで、本当に良かったです好


両親にとって、久方ぶりの家族団らんとなったと思います。


これからもきっと、いろいろあるとは思いますが、大プーも、弟も、弟の奥さんも、1回目のツライ出来事が、どうか生かされるよう、ご先祖さま、お見守り頂ければありがたいです。


そして、私は私で、がんばりたいと思いますグー



おかげさまで、本日の奈良の母のCTの結果は、転移などが見られず、ひとまず問題ない、ということでした!



腹水が若干あるものの、こういった手術をした人にはあることなので、今のところ、そんなに気にしなくていいですよ、と言って頂きました。



叫びたいほどうれしくて、泣けるほど、ありがたかったです。



術後聞かされた正確な母のガンは、ステージⅣでした。

しかも、Ⅳが最高なのですが、胃周辺のリンパ節を全摘したのですが、129個の内、ガン細胞が確認されたリンパは60個でした。


これは、もう、すごい数なんです。。。



そのため、ただのⅣではなくⅣBという判定でした。通常はありえないステージです。



このステージの方の1年後の生存率は5%未満です。



だから、この術後3ヶ月後のCT結果で、再発がなかったのは、奇跡と感じずにはいられないのです。



時間をまた少し与えて頂いたこと、感謝です。



日曜日のお墓参りで、良い報告ができます。



生命力ははかりしれませんね。




明日は、奈良の母(旦那の母)のCT検査の結果を聞きに行く日です


奈良の両親は、父が39歳の時に重い脳梗塞になり、それ以来、自宅に業務用ミシンを入れ、刺繍業を営み生活をして来ました。

当時、大ちゃんは小学校低学年で、弟は幼稚園でした。


朝から晩まで、ミシンを回し、身を粉にして働き、子ども二人を育てあげました。

父が脳梗塞ということもあり、母は様々な意味での家族の柱となり、家族を支え、守って来た人です。

脳梗塞のこともあり、父は自分が看取るものと思って生きて来ました。

その母が、2012年3月19日に緊急入院となり、4月4日に手術となりました。

病名は、胃癌です。

ステージⅣの、しかもbでした。

ステージの中に更に「a」と「b」があることを初めて知りました。

つまりは最も進行している状態だったいうことです。

発見が遅れたこと、また、スキルス性の胃癌だった為、相当厳しい状態でした。


当時の状況は、大ちゃんは東京で解離性障害発症の為、健忘症となり奈良以外の記憶に蓋をした状態となってしまいました。

当然のことながら、私との記憶にも蓋をしてしまいました。

そしてその頃私も大ちゃんが休職して9ヶ月目頃に、調子を崩し、同じ病院にかかり、軽いうつと診断され薬を飲んでいる状態でした。

記憶を蓋したこと、私自身も調子を崩していたこともあり、双方の両親が相談をし、大ちゃんはひとまず奈良へ一人戻ることとなりました。

つまり、大ちゃんと私は奈良と東京で別々に暮らすことになったのです。


ですので、奈良の母にひとまず大ちゃんをお願いすることになり、電話などで大ちゃんの様子を聞いたりしていました

奈良へ戻った当初は、大ちゃんもパニックを起こすこともあり、弟がなだめつつ押さえつけたり、夜中家を抜け出さないよう母が耳を凝らしながら夜通し起きていてくれたこともありました。

うつになって休職してから、電話自体に怖さを感じるため、初めの内は大ちゃんと電話で話すことすらできませんでした。そのためその間、大ちゃん自身とのやりとりは、大ちゃんが調子よければ返してくれるメールのみとなっていました

それも少しずつ落ち着いて来てからは、短い時間でしたがたまに電話で話せるようになりました。


少しずつ、大ちゃんは落ち着きを取り戻して来ていましたが、まだまだ回復の道を歩き始めたばかりでした。

その為その大ちゃんと、脳梗塞を煩った父とでは生活がままならないこともあり、緊急入院となったことを大ちゃんからの電話で知らされた私は、その日の内に新幹線に乗り、東京から奈良へ駆けつけた状態でした


ひとまず緊急入院をしたのはいつも通っていた近所の病院でしたので、すぐに母の顔を見に行きました。

私が病室に現れた時の母の顔は今でも覚えています。

ありえないものを見た、そんな感じでした

「いやぁ~~、じんちゃんっっ!!!あんた、なんで?来てくれたん?大丈夫なん?いやぁ~~・・・ごめんねぇ。ビックリしたやろ?」と言っていました。

後から聞いたら、案の定、私が来ていなければ母は「入院なんかしてられません!」と言って、退院してしまおうと本気で考えていたそうです。

間違いなく、本当にそれをしてしまう人なので。。。


腫瘍は相当大きくなっていて、まともに食事ができない状態でした。

腫瘍の出血プラス、元々の貧血体質もあり、かなりの貧血状態でした。

そんな身体でも、自分のことよりも家族のことを心配してしまう母です。

そういう人なのです。


胃の全摘はもちろんですが、浸潤していた場所がかなりあり、周辺のリンパ節切除(切除可能な箇所のみ)・脾臓全摘・膵臓の一部切除・横行結腸の一部切除の大手術となりました。

手術室から、無事戻れない可能性も低くはなく、術後の合併症も相当確率は高かったのですが、母は様々なことを奇跡的にくぐり抜けてくれました。

もちろん、先生方のご尽力あってのことですが、やはり母さんはスゴイ!と改めて思いました。

術前、母が「ようやく年金をもらえるようになったのに、ひとっつももらわへんで死ねへんわ、もったいない!!」と言っていたので、「分かった、じゃあお母さんが逝っちゃいそうになったら、耳元で「お母さん!年金!」って囁くよ。」「そりゃええなぁ。」と笑いながら話していました

術後、麻酔から目を覚ました母に「さすがだね、お母さん!すごいよ!」と声をかけました。「私はなんもしてへんで、先生たちがな。目ぇ覚めたら終わっててん。」と言っていました。


現在、母は自宅にて、抗がん剤治療中です。

がんばって治療をしてくれています。

こんなことでもなければ、ミシン部屋で倒れるまで働いていたであろう両親は、思いがけず世間一般で言う「老後」的な生活を過ごさせてもらっています。

これまでの生活にはあり得なかった、散歩や昼寝をしています。

叶うことなら、この時間を少しでも長く、過ごしてもらいたいです。


そして、あの日、突然の奈良行きを反対も賛成もせずに見守ってくれた東京の両親には、本当に感謝しています。

どんな思いで止めずにいてくれたのだろうと思うと、言葉がありません。

たくさん心配をかけ続け、安心とはほど遠い場所にいるけれど、一つでもその心配の種を減らせたらと思っています。

なかなか実践できませんが、少しでも長生きしてその猶予をもらえるとありがたいです。


明日の検査結果が、ツライ結果とならないことを祈るばかりです。

少しだけ茶色だった髪の毛を、朝から黒髪に染め直し、写真撮影へ向かった大ちゃん


見せてくれた写真は、ちょっぴり固~い表情だったけど、「ま、これが今の自分でしょ」という大ちゃんの言葉に妙に納得。


現在一生懸命、職務経歴書をカタカタとPCにて作成中 おつかれさま。


私の職業訓練校の合否通知。。。まだ来ないよぉ

どうか、明日は届きますように

昨日は、格安に作ってもらえるイージーオーダーのスーツを受け取りに、堺まで大ちゃんと行って来ました


仕上がりを確認するため、試着。。。


正直、かなり、感慨深いものがこみ上げました。

昨年の2月に、会社へ行けなくなった大ちゃんのスーツ姿は、約1年半ぶりでした。


休職前するしばらく前から、様子がおかしいことは分かっていたけど、どれくらいしんどくなっているのかは推し量れませんでした。

大ちゃんの、「うつ病」再発となりました。

私と出会う前の20代半ば頃にも経験していたからです。


あれから、本当にいろいろありました。

去年は4回、救急車にお世話になりました

1回目は、薬の過剰摂取。

2・3回目は、尿管結石。

そして4回目は、解離性障害の発作。


その大ちゃんのスーツ姿は、本当に、何とも言えない気持ちになりました。

先のことは誰にも分からないけど、ここまで歩いて来れたことが、とても大きな意味を感じます。

今日まで、ほとほと情けない私たちを支えて、許して、見守って来てくれたお互いの両親、兄弟、友達。


「ありがたい」だけでは追いつきません。


そして、大ちゃん。

あなたのがんばりもあってこそ、今日という日を迎えられたのだと思います。

素敵なスーツを仕立てて頂いて、エフワンさん、お世話さまです。ありがとうございました


今、獣医さんから連絡を頂き、ひとまず、手術が終えて、アースの意識も回復したとのこと。


アースすごい!がんばったんだ!

お母さんと一緒だな。


術後経過と、病理検査の結果は心配だけど、あの腫瘍をぶる下げたまま息絶えるのを待つのはあまりにも酷だと思ったので、取っていただけて、ありがたいです。


アースおつかれさま。

そして、先生方、こんな遅くまで本当にお世話さまです。

明日、10時出勤だそうで、本当におつかれさまです。