「おかま」は侮蔑語か | jean-pierreのブログ

「おかま」は侮蔑語か

なんとなくダスキンのサイト見てたんですよ。ヤフーのトップに広告があったんでクリックしてみたんです。そうしたら、環境サミット2009ってサイトで。何人かが集まって会議してるみたいな場面が出てきました。このサイトなんですが。
多種多様な人が環境について語る、みたいなつくりなんですが。サラリーマンやら主婦やら外国人やらが出てきてて、おかまってのが出てくるんですよ。ちょっと驚きましたねえ。
というのは広告ってすごく言葉にシビアというか、普通差別語は絶対に使われません。差別語どころかあまりよいニュアンスがない言葉もめったに使われません。
百姓とか床屋とか、なんでこれがダメなの?って思う言葉ですら使われないんです。
だから、このサイト作ったのは広告のプロじゃないのではないかな?なんて思ったんです。広告費なんて不景気になると真っ先に削られる運命にあるので、社内で素人のwebデザイナーが作ったのかな、なんて。

以前にも書きましたがは当事者が不快感を持つのなら、障がい者という書き方も受け入れるべきなんだと思うんですよ。だからちょっと、このサイトはいかがなものか、と思います。

とにかくどの会社でもエコを訴求したがるのが最近のご時世です。しかし、殆どの経済活動とエコってのは相容れないものなんですよね。人間が活動量を増やせば増やすほど排出されるCO2は増える訳で。
特にテレビです。テレビで環境問題を語るのはまさに自己矛盾です。「誰にも出来るエコ」なんてテーマが取り上げられる事が多いんですが、そんな番組見るよりテレビを消すほうがよっぽどエコです。
局も多すぎますよね。東京なら2つ程なくなってもいいんじゃないでしょうか。テレビ局がどれ程のエネルギーを浪費して、どれ程のCO2を排出しているのかなんて算出したら恐ろしい数字になるはずです。
まあ、テレビは広告収入が激減してますから、長期的には局の数は減るかも知れませんね。新聞の淘汰の方が先かも知れませんが。

実際にみんながエコに本質的な部分で目覚めてしまったら実は大変なことになります。皆がテレビを消して、パソコンを消して、余暇は例えば図書館でおとなしく本を読む、スポーツは公園を散歩、なんてスタイルになったら、国内の経済はガタガタになります。
物が売れなくなり、その結果企業は新しい商品を開発する余力を失います。国際競争力が失われて、所得が劇的に下がりますから出生率はますます下がる事になります。今以上に結婚や子育てをあきらめる人が増えるからです。結局は国力が大きく低下するんですね。
実は、我々先進国での生活はある程度、浪費によって成り立っているのです。

だからこそ各企業はエコに親和性のある商品やサービスを生み出そうと必死になってるんですね。ダスキンも広告を作るに際してエコを追及してプロに依頼しなかった。その結果出来の悪い広告を作ってしまった、という事なんでしょうか。