燃えるカリフォルニア La Californie

ジュリアン・クレール Julien Clerc

 

ジュリアン・クレールのレコード・デビューは1968年5月で、その頃彼はソルボンヌ大学の学生だった。ちょうど、あの五月革命が始まり、否応なしに彼は騒乱に巻き込まれることとなった。

それでも、その年(1968年)の秋には、彼はアダモの前座で歌い、翌年(1969年)にはオランピア劇場でジルベール・ベコーの前座となった。

あの、伝説と呼ばれるオランピアのミスター・ダイナマイト(ベコー)の前座歌手というのが当時どれだけ栄誉だったかは、私たちの想像を超えている。ジュリアン・クレールは、一躍名を成すことになった。

 

このシャンソン「燃えるカリフォルニア」は、ちょうどその年(1969年)の作品で、全米ツアーもしていないのにどうしてカリフォルニアをテーマにしたのか?とずっと不思議に思っていたが、最近思い当たることがあった。

 

実は、そのオランピア出演時に、大富豪のベルトラン・カステリと女性プロデューサーのアニー・ファルグーが楽屋を訪ねて来て、米国ミュージカルの「ヘアー」に主演で出ないかとの誘いがあったのだ。彼は、フランスでの公演については固辞したものの、ロンドン公演には出演している。

 

この「ヘアー」のことがあって、カリフォルニアをテーマに楽曲を書いたのではないかと想像している。

 

日本では、このシャンソンは、永田文夫が訳詞を書いて紹介したが、残念ながら私は日本語詞で歌われている場面に出くわしたことがない。