ミロール Milord 

エディット・ピアフ Edith Piaf 

 

エディット・ピアフの「ミロール(Milord)」は、日本では美輪明宏をはじめ多くのシャンソン歌手が日本語歌詞でカバーしている。

 

恋愛遍歴に事欠かないエディットですが、1958年に若き日のジョルジュ・ムスタキ(George Moustaki)に出逢った。

2012年に出版されたジョルジュの自伝によれば、初めて会った時、エディットは以下のようだった。

 

Un brin sarcastique, Piaf m’a demandé ce que je chantais. Surpris, intimidé, j’ai pris une guitare et j’ai été lamentable. Avec son flair de professionnelle et sa sensibilité de femme, elle m’a donné carte blanche pour que j’aille l’écouter chaque soir à l’Olympia.

少し馬鹿にしたように、歌ってみろと言った。驚いて、怖気づいて、ギターを手に取り、僕はぶざまな感じだったに違いない。彼女は、そのプロフェッショナルな嗅覚と女性ならではの感受性で、僕を認め、毎晩オランピア劇場で彼女の歌が聴けるよう無料入場券をくれた。

 

 Elle m’a fait percevoir un comportement d’auteur en s’efforçant de me faire sentir ce que devait être une chanson pour passer la rampe, parvenir aux gens. Généreuse et aimante, elle était aussi exigeante et redoutable. Seigneur et maître en tant que compagnon, on était en même temps son serviteur dans le travail. 

彼女は、僕を専属の作曲家にしてくれ、大衆に受け入れられ浸透するようなシャンソンを創作しなければならないと思わせた。彼女は、寛容で魅力的である一方で、要求が多く恐ろしかった。君主であり指導者であり、同時に伴侶でもあった。我々は、また、創作活動の僕(しもべ)でもあった。

 

その出逢いから一年が経ち、ジョルジュ・ムスタキは、「ミロール」をエディット・ピアフに捧げた。

これは、まさにピアフのために書かれた優れた作品で、テンポの良さといい、台詞回しの威勢の良さとペーソスが混ざり合った感じといい、一年をともに過ごしたからこそ書けたものだと思われる。

ただ、この楽曲提供から間もなくして、アーティスト2人のコラボレーションは、その情熱的で短かかったロマンスとともに終わりを告げてしまった。