ア パリ À Paris 

イヴ・モンタン Yves Montand

 

このシャンソンは、イヴ・モンタンのために書き下ろされたものだと思われている人は多いことだろう。

でも実は、1946年にフランシス・ルマルク(Francis Lemarque)が自分のために書いてレコーディングしたのが最初だった。彼はスターになりたくて、サンジェルマン・デ・プレを中心にキャバレーやミュージックホールでこの歌を唄ったが、大きなヒットにはならなかった。

ルマルクは、同じ年(1946年)にモンマルトルのクラブ・デ・サンク(Le Club des Cinq)でエディット・ピアフの前座していたイヴ・モンタンを見つけて、自分よりもハンサムで見栄えのする上り調子スターのたまごのパフォーマンスにショックを受けた。

そこで挫けたのではお終いだったのだが、彼は気持ちを切り替えて、この若き有望株のためにシャンソンを提供することにした。

ルマルクとモンタンは、共通の友人であるジャック・プレヴェールの仲介で知り合い、そして、共同作業の手始めとして1948年にこのシャンソンをモンタンが歌うことになった。狙ったとおり大ヒットとなり、ステージで歌うレパートリーの一つとなった。