1960年代後半、夏木マリは高校生だった。通っていたのは、池袋にある豊島岡女子学園で、埼玉女子には今でも人気の進学校だ。

彼女が学業を捨て芸能界に向かうのは、近所のオバさんからの一言がキッカケだった。

 

 

『魚屋のケン坊がデビューするので応援してあげて』

ケン坊というのは、小さなケン、小ケン(ショーケン)、つまり萩原健一のことだ。だから、デビューしたのは、テンプターズだった。

夏木マリは、授業を終えると彼らが出演するテレビ局やジャズ喫茶に通いつめ、日劇のウエスタンカーニバルでは出待ちをした。

そうするうち、彼女はスカウトされ、GSのスターと一緒の楽屋になれると思い、デビューしてしまったのである。


出典: 島崎今日子『ジュリーがいた』文藝春秋