私たち(断層の世代・しらけ世代)が子供の頃、茶の間で大人と一緒にテレビで観ていた「シャボン玉ホリデー」や「夢で逢いましょう」の前に「光子の窓」(草笛光子が出演)というバラエティのはしりのような番組があった。

日本テレビの井原高忠がプロデュースしたのだが、その番頭役だった秋元近史が「シャボン玉ホリデー」を作った。

そして...

 

 

その「光子の窓」の構成作家の一人だった永六輔が井原孝忠と喧嘩してNHKへ行って「夢で逢いましょう」の台本を書いた。

喧嘩の理由は、永六輔が台本をほったらかして安保闘争に参加したことだという。打倒岸内閣で居ても立っても居られなくなってデモに参加した永の純粋な気持ちもわからないわけではないが、番組制作にかける井原の想いもよくわかる。まさに時代が二人を引き裂いたとも言える。

こうして、「光子の窓」のエッセンスを引き継いだ「夢で逢いましょう」が誕生したわけだ。