西條八十はフランス留学していて、パリでソルボンヌ大学に通っており、もちろん馴染みがある。そして、江戸っ子で銀座をこよなく愛していた。彼のこの二つの都市(街)への想いが「銀座の柳」という流行歌になっている。

 

 

巴里のマロニエ 銀座の柳

西と東の 恋の宿

誰を待つやら あの子の肩を

撫でてやさしい 糸柳

 

この歌ができた昭和7年4月の2か月前、銀座4丁目の三越前で柳の植樹式が行われ、西條も出席した。その模様は新聞で報じられ、「パリのマロニエ、銀座の柳」とパリの名物街路樹と対比して紹介された。

 

おそらく、パリと銀座を結び付けた最初のイベントであり、それを歌にした西條の想いがこの二つの街の比較をわれわれ日本人の記憶に残させたのではないだろうか?

銀巴里をはじめシャンソンの店が銀座に次々とできたことの布石になってのではないかと私は推測している。