昭和4年、西條八十は銀ブラした後で喫茶店「美松」に入り、歌詞の構想を練った。菊池寛が連載中の「東京行進曲」を日活が映画化することになり、主題歌を頼まれたのだった。小説とは内容が違ってもよいとのことだった。

 

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江戸っ子の西條八十は、東京に精通している。一番はもちろん大好きな銀座、二番は丸の内、三番は浅草、そして四番は新宿を書いた。

ところが四番の歌詞にレコード会社(ビクター)から歌詞の変更をしてくれとの注文がついた。

 

八十は、最初、こう書いた。

 

長い髪して マルクス・ボーイ

今日も抱える 「赤い恋」

変わる新宿 あの武蔵野の

月もデパートの 屋根に出る

 

前年3月に野坂参三ら共産党員の大量検挙があり、政府は左翼運動に敏感になっていた。マルクスかぶれの青年を歌詞に入れたら、官憲にクレームをつけられレコードが発売禁止になるかもしれないと言うのだ。

そこで、少し考えて、最初の2行を以下のように書き換えた。直ぐに歌詞が浮かぶのは、八十の才能だった。

 

シネマ見ましょうか お茶飲みましょうか

いっそ小田急で 逃げましょうか

 

その頃から小田原急行電鉄は「小田急」の名で親しまれていた。小田急で箱根に駆け落ちする男女を織り込んだわけだ。