1946年と言えば、日本が敗戦・降伏した翌年だ。
その年に、岡晴夫は「東京の花売り娘」をリリースしている。果たして当時、花売り娘は、大空襲で焦土と化し瓦礫の街だった東京に存在したのか?
戦後生まれの私には、これはかなりの謎になっている。
私の解釈は、こうだ。
岡晴夫は、戦前に上原げんとと出逢い、彼の作曲した歌でレコードデビューした。
ロッシーニの「フィレンツェの花売り娘」を参考にしたと思われるが、1939年に「上海の花売り娘」、翌年に「広東の花売り娘」と「南京の花売り娘(みどりの光よ)」を発売している。日本が中国進出していた時代だ。
流石に戦争中は、花売り娘どころではなかったはずだ。
戦前からの「花売り娘」のシリーズは存在していた。でも、戦後直ぐでは海外を舞台にすることなど思いつかなかった。それで、戦争が終わったところで、敗戦で疲弊した人々の心を和ませようと「東京の花売り娘」を歌ったのではないだろうか?
本当に花売り娘がいたのかどうかなどは、あまり関心無かったのではないだろうか?
ちなみに1951年には、美空ひばりが「ひばりの花売り娘」をリリースしている。