松田聖子は、新人賞を獲った時に「お母さーん」って泣きそうなのに涙が出ないことがあり、ぶりっ子だとか言われた。

でも、それは、テレビ側の泣かせようとする期待に応えようとして泣き真似みたいになっただけで、涙が出ない体質ではなかったはずだ。

というのも、デビュー前にはマジ泣きする場面が目撃されているので。

 

 

デビューの前年(1979年)、聖子はサンミュージックの寮にひとり暮らしするため上京した。送って来た父親が帰る時間となり、新宿の小田急デパートの地下の喫茶店で別れを惜しんでいた時、静かに泣きはじめたと言う。父が「一緒に久留米に帰ろうか」と言うと、涙を流しながら、「帰りません。私、がんばります!」と答えたそうだ。

 

1979年12月(デビュー4ヶ月前)、テレビドラマ「おだいじに」で事務所の先輩・太川陽介の相手役となった。キスシーンがあって、聖子は涙が自然に溢れてしまった。ディレクターにはそれがかえって良かったようで、ワン・テイクでOKとなったと言う。

 

女優として資質、つまり演技で泣ける能力に欠けていただけで、ぶりっ子と呼ぶのは少し可哀想な気がする。