松田聖子は、デビューした1980年から81年にかけて同世代の女性に人気が無かった。ぶりっ子が鼻につくと言われた。泣いても涙が出ないと揶揄された。聖子は嫌いだけど、男の子にモテようと聖子ちゃんカットはするという不思議な現象もあった。

ところが、そこにある変化が訪れた。

 

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作詞だけでなく彼女の歌をプロデュースしていた松本隆は、このままではいけないと思った。

彼女と同世代の女性たちがリスペクトする人物を後見人とする必要がある。山口百恵の後ろに阿木燿子がいたように。そして、自分の友人に相応しい女性が一人いることに気が付いた。

そう、ユーミン(松任谷由実)だ!

彼女は、若い女性たちの間でカリスマのようになっていた。発売されるアルバムは立て続けにヒットし、コンサートツアーもいつも満席だった。ラジオのリスナーも多かった。

 

松本隆が作詞して、呉田軽穂(ユーミン)が作曲する。

あのユーミンが曲を書くくらいだから、松田聖子は素晴らしい歌手に違いない、と若い女性は思うようになった。

謂わば、ユーミンのお墨付きを貰ったようなものだった。

 

ユーミンが初めて作曲した「赤いスイートピー」から、松田聖子には女性ファンが増え始めた。