「舟唄」と言えば、八代亜紀の歌だと誰もが知っている。

しかし、実は別の人が歌うことを前提に書かれたのだった。

その相手とは?

 

 

1975年から1976年にかけて、阿久悠はスポーツ日本で「阿久悠の実戦的作詞講座」を連載していた。

各講ごとに歌う歌手を設定して読者から投稿作品を講評しつつ、阿久悠自身も書き下ろしの詞を発表するという趣向だった。

最終講で設定された歌手は、トリということで美空ひばりになり、そして阿久悠が書いたのが「舟唄」の原型だった。

微妙な相違はあるものの、ほぼ同じ歌詞となっている。

 

この歌詞は、美空ひばりに歌われることなく眠っていたが、ある時、浜圭介の手に渡り、彼が曲をつけて八代亜紀が歌うことになったのだった。

阿久悠は美空ひばりと同い年だったが、あまりにも大スター過ぎて、パーティで紹介された時も緊張してほとんど話せなかった。ましてや自分の歌詞で歌ってくれなど言い出せなかったのだろうと想像する。