翌山口百恵がレコード大賞を狙える位置にいた時、つまり1977年と1978年、ことごとく阻止したのは、阿久悠だった。沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「UFO」だ。

阿久悠が主宰していたと言ってもよい「スター誕生」の出身であるにも拘わらず... である。

 

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ここでちょっと視点を変えて、出身大学別に考えると、阿久悠は明治、「横須賀ストーリー」や「Playback part 2」を書いた阿木燿子・宇崎竜童も明治だったわけで、これは明治大学出身者の中で世代交代争いを繰り広げていたと言うこともできる。

そして、翌1979年、沢田研二・ピンクレディーの人気が一服し、ツイストが新人賞を辞退する中で、山口百恵には本当にレコード大賞のチャンスが訪れた。

でも、その時に受賞を阻んできたのは、またもや明治大学出身者だった。しかも、味方であるはずの阿木燿子だった!

そう、ジュディオングの「魅せられて」だった。

CBSソニーの酒井政利も、当の阿木燿子も、まさか「魅せられて」が大ヒットするなんて思ってもいなかったはずだ。ヒット曲に恵まれない中堅歌手をカムバックさせるために作ったはずだ。

それが皮肉なことに、ワコールのCMと池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」の映画のキャンペーンで流され、エーゲ海ブームに乗ってあっと言う間にミリオンセラーになってしまった。山口百恵にとっては、不運としか言いようがなかった。