1980年4月に松田聖子がデビューした時、阿久悠はスター誕生の栄光に翳りがあることに気付いたと言う。

それでも翌81年に中森明菜と小泉今日子を輩出したのだから、やっぱり「スタ誕」は凄い番組だと思う。

 

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実は、中森明菜はスタ誕のテレビ予選会で2度落選している。

1回目は、岩崎宏美の「夏に抱かれて」を歌い、松田トシに「表情に若々しさがない」と言われて、本選に行けなかった。

2回目は、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌って若さをアピールしたが、松田トシに「あなた、歌は上手だけど顔が子供っぽいから無理ね。童謡でも歌っていたほうがいいんじゃない?」と言われ、またしても落選した。(松田トシは相当嫌いだったらしい。)

3回目は、予選会で竹内まりやの「September」、本選で山口百恵の「夢先案内人」を歌い漸く合格した。それで、デビューは1982年となった。

 

そうしているうちに、松田聖子は山口百恵引退の翌1980年にデビューして、着々とトップアイドルの座を固めていた。

中森明菜が予選会・本選を一度で合格していたら、ライバルとしてもっと競い合うことになったのではないか? 2年間のハンディキャップは余りにも大きい。彼女は、聖子ちゃんのフォロワーとしての位置付けで出るしかなかった。だから、デビュー当初は、聖子ちゃんカットをさせられていた。