日本語シャンソンが定着したのは、案外、サンフランシスコ講和条約の調印と関係しているのかもしれない。

その頃、越路吹雪と岩谷時子の間で、以下のような会話があった。

 

 

越路:もう進駐軍に気を使わなくていいんだから、わざわざ下手な英語で歌いたくないの。

岩谷:そうね。歌うのも日本人、聴くのも日本人なんだから、日本語でいいと私も思うわ。

 

実は、越路は、進駐軍の慰問で「ビギン・ザ・ビギン」を英語で歌い、発音が良くないと指摘されていた。

日本語で歌うならということで、岩谷が訳詞をすることになった。

 

講和条約締結で日本は独立国となり、進駐軍がいなくなったことで日本語ポップスや日本語シャンソンが大手を振って歌われることになったわけだ。