第二次世界大戦後(アプレ・ゲール)の宝塚歌劇団は、活動が制限されていた戦争中にかなりの退団者を出したことから、一部のトップスターは残っていたものの、新しい「顔」が求められていた。

そこで抜擢された一人が越路吹雪だった。

 

 

花組の男役トップには春日野八千代がいたが、時代は従来の貴公子風よりもやんちゃなタイプの越路を求め始めた。

1947年の「ファイン・ロマンス」では、越路は声楽専科の深緑夏代とコンビを組んだが、彼女から歌の上手さを吸収して、歌唱力を顕著に伸ばしたことから、カリスマ性と実力とが相まって名実ともにトップスターとなった。

そして、1948年の「ブギウギ巴里」では、宝塚に在籍のままコロムビアからレコードデビューすることになった。