1973年、世志凡太というコメディアンでプロデューサーもしていた人物が阿久悠のもとに沖縄出身の5人兄弟を連れて来た。ジャクソン5のコピーにしたいと言う。

 

 

都倉俊一と二人で、あまり乗り気では無かったが、スタジオで歌わせてみた。ところが、ボーカルのアキラの声を聴いた途端、思わず親指を立てた、と阿久悠は書いている。とんでもないものが転がり込んで来た気がしたそうだ。

そして、個人授業、学園天国、恋のダイヤル6700と立て続けにヒットすることになった。

ただ残念なことに、コピーは所詮コピーで本物にはなれない。アキラの声変わりとともにこのグループは消えて行った。

 

 

(出典:阿久悠「昭和と歌謡曲と日本人」)