日本敗戦直後の1946年、宝塚大劇場が歌劇団に返還された。再開第1回の雪組公演の演目は、「カルメン」と「春のおどり」だった。ドン・ホセを春日野八千代、カルメンを深緑夏代が演じた。

一方、朝ドラ「ブギウギ」でやっていたが、翌1947年日劇では、白井鐵造・作、服部良一・音楽で、「ジャズ・カルメン」が笠置シズ子主演で開催された。

どうして、戦後は「カルメン」で始まったのか?

 

 

これには、GHQが駐留していた状況が関係していると思われる。

確かに日本は連合軍に敗れた、それは事実なのだが、そうだからと言って直ぐに敵国だったアメリカの作品を上演する気にはなれない。それで、戦前から馴染みのあったフランスものを心情的に選んだのではないかと思われる。

宝塚の場合は、「モンパリ」などフランス風のものを舞台化してきた伝統がある。

一方で、服部良一の方は、戦時中できなかったジャズを直ぐにでもやりたいのだが、アメリカンな出し物は回避したい。それで、カルメンをジャズで、という中間的な舞台にしたに違いない。