私は、時々想像することがある。

薬師丸ひろ子にもう少し早く出逢っていたら、阿久悠は彼女と組んで松本隆の松田聖子と一勝負していたんじゃないか?と。

 

 

阿久悠が薬師丸ひろ子のデモテープを初めて聴いたのは、1981年11月だった。

彼は、小説出版の打ち合わせで角川春樹を訪ねたのだが、ちょうど薬師丸ひろ子の歌った音源が届き、一緒に聴いてみようということになった。

 

聴き終えて、角川は「背中がざわざわっとしますね。」と言い、阿久は「血が下がった」と感想を述べたと言う。

だが、阿久悠が薬師丸ひろ子に出逢うのは、少し遅すぎた。

 

角川春樹は、薬師丸ひろ子が学校でコーラス部に入っているのを知って、「ねらわれた学園」で主題歌「守ってあげたい」を彼女に歌わせようとしたが固辞され、松任谷由実が自分で歌うことになった。

その後、「セーラー服と機関銃」の時に、監督の相米慎二が説得することで、漸く薬師丸が歌うことになったのだった。

 

 

 

 

「セーラー服と機関銃」は、来生えつこ・来生たかおの作品だが、角川は次作の「探偵物語」では、阿久悠ではなく松本隆に作詞を依頼した。

 

 

(出典:中川右介 『阿久悠と松本隆』朝日新聞出版)