歴代のアイドルの中で、プロデューサーや作詞家から新曲を提示されて、「これを私が歌うんですか?」と言った二人がいる。

一人目は、「青い果実」の歌詞を読んだ山口百恵だった。

「あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」という歌い出しは、14歳の少女にはかなりの衝撃だったに違いない。同年代のアイドル歌手、例えば桜田淳子は当時もっと幼い歌を唄っている。違和感を持っても当然だ。ただ、その素直な気持ちを大人たちにちゃんと言えるところが百恵の凄いところだと思う。

(出典:酒井政利『アイドルの素顔―私が育てたスターたち』河出書房新社)

 

 

もう一人は、シングル7曲目の「風立ちぬ」を初めて聴かされた時の松田聖子だった。「これは私の歌ではない」と直感で思い、松本隆と大瀧詠一に向かって、「これを歌うんですか、私向きじゃないみたい」と言った。

(出典:松田聖子「聖子20歳 愛と歌の青春譜」)

18歳でデビューして未だ6曲しかシングルを出していない若手であるにもかかわらず、自分の歌とはどういうものか自覚しているところが素晴らしい。

 

 

実は、聖子は6曲目の「白いパラソル」の時も「歌いにくい」と気に入らなかった。彼女は、いかにもアイドルらしい「夏の扉」のようなアップテンポで流れるような勢いで歌いきる曲が好きだったに違いない。

「白いパラソル」や「風立ちぬ」はスローで、抽象的な言葉やメタファーが散りばめられていて、主人公の女の子の気持ちが掴みづらい。

ただ、この2曲を歌いこなすことによって、松田聖子は表現力のある歌手だと認められるようになったわけで、違和感を乗り越えたところに新しい境地が待っていたのだ。