桜田淳子と山口百恵は、スター誕生の3か月毎の決戦大会で相次いで合格した。最初は、似ている二人と言われたが、直ぐにお互い個性を発揮し始めた。そして、ヒットチャートで凌ぎを削ることになった。

この競争は、阿久悠と酒井政利との覇権争いでもあった。

 

 

 

当時は再生回数の無い時代で、レコード売上枚数の比較になるが、2人のデビュー当時は淳子が百恵をリードしていた。

最初のマッチアップは、淳子の『私の青い鳥』と百恵の『青い果実』で、淳子は最優秀新人賞を獲ったものの、レコード売上は15万枚で、百恵の20万枚を下回った。

次の激突は、淳子の『はじめての出来事』と百恵の『冬の色』でヒットチャートの一位二位を交代で奪い合った。

ただ、その競争も1975年くらい迄で、その後は山口百恵の独壇場となった。

阿久悠はこの敗北により、百恵を見出せなかった審査員という汚名を着せられることとなった。