エディット・ピアフが亡くなったのは、1963年10月。

一方で、もともとは英米のポップスやツイストにフランス語の歌詞を付けて歌った Yéyé は 60年代にヒットした。

ジョニー・アリディがデビューしたのが1960年、シェイラ、クロード・フランソワやシルヴィ・ヴァルタンが揃って1961年なので、舞台で共演することは無かったものの、ラジオなどで流行し始めたことは知っていたのではないかと推測できる。

 

 

残念ながら、エディットが Yéyé について発言した記録を見たことはないが、若い連中が何かやってるなという程度の認識だったに違いない。

 

晩年のピアフは体調が万全ではなく、舞台で倒れたり、レコーディングの途中で具合が悪くなったり、そんな感じで、自分以外の歌に関心を持って熱心に聞いたりする余裕は無かったはずだ。

もう5年長生きしていたら、美空ひばりが秋元康の作詞で「川の流れのように」を歌ったように、ジャック・ブレルやセルジュ・ゲンズブールが作ったシャンソンを歌っていたかも知れない。ただ、Yéyé は彼女のレパートリーからかけ離れているので、歌うことは無かったのではないだろうか?