1957年、ピアフは北米・南米をツアーを11ヶ月間やりました。ニューヨークからハリウッド、ラスベガスからシカゴ、リオデジャネイロからブエノスアイレスという風な具合でした。

エディット自身は自伝で、「長い間パリを離れて寂しかった。私にとってシャンソンがわかるパリの観客こそ本当のお客様だ。彼らが恋しかった。」と書いています。

一方で、ファンの方はどうだったのでしょうか?

 

 

パリのファンの方は、ほぼ1年ピアフの歌をライヴで聴けなかったわけですから、待ちきれない状況(フランス語でこの状況を hâte と言う)でした。

だから、1958年の2月6日からオランピア劇場で歌うことが決まったら、直ぐに前売り券は売り切れとなり、支配人から延長の申し出があり、11週間のロングラン公演になったのでした。

 

この話は、自伝には美談のように書かれていますが、実は裏側では或る戦略があったのではないか?という疑問が私にはあります。その話を1月26日夜の る・たん あじる で話そうと思っております。(こういう深い話は、トークライヴ向きなので。)

まだ少し席がございますので、ぜひ、早めにご予約いただければと存じます。