エディット・ピアフが亡くなったのが1963年10月10日。
フランスでは皆喪に服したわけですが、1966年になってそろそろ良いだろうと言うことで、"Télé Dimanche"という日曜日の人気テレビ番組で、エディット・ピアフの再来はどちらか?という企画がありました。
Georgette Lemer(ジョルジェット・ルメール) と Mireille Mathieu(ミレイユ・マチュー) の二人が選ばれて出演しました。
ジョルジェット・ルメールをご存知ない方が多いと思われるので、ピアフの曲を歌った youtube をお聴きください。
その番組は一種のショーであって、採点して優劣を決めたわけではなかったのですが、一夜明けて、新聞各紙はミレイユの方を支持したため、「勝負あった」感じとなりました。
そして、その評判を知ったジョニー・スタークがマネージャーに就任しました。彼は、イヴ・モンタン、ルイス・マリアノ、リーヌ・ルノー、そしてジョニー・アリディを担当してきた辣腕として知られる人物でした。ミレイユの快進撃は、この辺りから始まりました。
ミレイユ・マチューは、ピアフがこの世を去った後、彗星のように突如現れたように思われていますが、実は、こうした競合があったわけです。