丸山(美輪)明宏は、銀巴里でシャンソンやジャズだけではなく、古い日本の叙情歌や自作の大衆歌も歌っていました。ある日、大正時代に流行った「船頭小唄」を ♪俺は河原の枯れススキ...♬と歌うと、三島由紀夫は顔をしかめたそうです。後で訊くと、「(あの歌は)不愉快だ。」と言ったのだそうです。

 

 

丸山と同年代の寺山修司は、退廃的なもの、自堕落なものを認め、貧しさや田舎臭さの中にも美しさや抒情性を見出した人だったのですが、三島由紀夫は、そうではありませんでした。都会的で人工的なものを好み、ヨーロッパの退廃的な文化には興味は示したものの、日本の田舎や貧困に根差した物悲しさが大嫌いでした。学生の頃、太宰治の田舎者くさい野心や自己戯画化に辟易し、実際に会った時に「あなたが嫌いだ。」と言ったという逸話もあります。

だから、「枯れススキ」のようなうらぶれた世界観は不愉快だったわけです。

 

このエピソードからわかるのは、三島が丸山に対し都会的で西洋的で洗練されて非日常的な作り話的な姿を求めたのに対し、寺山は日本の郷土に根差した庶民文化の土台に根差す野に咲く花のような貧しくとも凛とした美しさを見出していたということです。

 

この話、詳しくは、いつか note に書きたいと思っていますので、お待ちください。