寺山修司は、若き日に短歌で世に出たのですが、それがいろんな方面から俳句の模倣、盗作ではないのかと批判を浴びました。

寺山にとって、過去の俳句や短歌はすべからく「本歌取り」の対象でした。その後も、詩、作詞、ラジオ・ドラマ、映画脚本、戯曲、エッセイとありとあらゆる先行作品からの引用を駆使しています。

 

 

その寺山が「青森県のせむし男」の次に丸山明宏のために書いた戯曲が「毛皮のマリー」でした。

もちろん題名は、イヴ・モンタンの "La Marie-vision"から採り、初演でもそのシャンソンが流されました。そして、芝居の内容は、アメリカの劇作家アーサー・L・コピットが書いた戯曲「ああ父さん、かわいそうな父さん、母さんがあんたを洋服だんすの中にぶら下げてるのだものね ぼくはほんとに悲しいよーまがいもののフランス的伝統にもとづく擬古典的悲笑劇」(1960年)のコラージュだと言われています。

 

ところで、この「本歌取り」の意味は以下のとおりです。

 

「和歌で,古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法。」

 

よく考えてみれば、日本のシャンソンは、すべてこの「本歌取り」ではないかと私は思っています。

もとになるフランスのフランス語の古いシャンソンがあり、その語句・発想・趣向などを取り入れて、新しく日本語で作詞して歌う手法と言えないでしょうか?

 

自分の創作方法が日本のシャンソンの作詞(訳詞)と似ていることを、寺山修司はもしかしたら気付いていたのではないかと思っています。少なくともシャンソン出身の丸山明宏に親近感を抱いたのは確かだと思います。

 

 

出典:佐藤剛「美輪明宏と『ヨイトマケの唄』」文藝春秋