日本初のシンガーソングライターが誕生したのは、1963年の「丸山明宏リサイタル~丸山明宏作品集」だと言われています。

シスターボーイの呼び名で登場し、「メケメケ」でレコードデビューし、一時期人気を博した丸山明宏でしたが、その後、ブームが去るように表舞台から退いていました。

地道にライヴ活動しながら、これまでにない日本人の生活感情から生まれた精神性の強い歌を50曲以上作詞・作曲していました。

そして、一か八かの思いで「丸山明宏作品集」のリサイタルを企画したのでした。

 


その挑戦の姿勢と意気込みとは裏腹に、前売り券の販売状況は芳しくありませんでした。

音楽プロデューサーで編曲とオーケストラの指揮をした中村八大は、客の入りが気になって、始まる前に受付を覗きに行ったところ、20人くらいのおばさん(おばあさんに近い)の一団がどやどやとやって来て、婦人団体の国会陳情団が場所を間違えたのかと思ったそうです。

ところが、あとからあとから、おばさんたちが列を成して当日券を買い求める事態になり、客席を埋め尽くしたのだそうです。およそ音楽会の客の雰囲気ではない「おばさんたち」だったそうです。

 

美輪明宏は、後に以下のように語っています。

 

「この六年間、じっとこの日を待ち続けていたのです。赤字は覚悟でした。あくる日の隅田川に、私の死体がポカポカ浮いているという事態になるやも知れぬ、と思ったほどです。でも、おかげさまで、そういうみじめな結果にならず...」

 

 

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